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日本人は本当に「サムライ」なのか 江戸時代の調査に見る武士の割合

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※画像はイメージ(新刊JPより)。
※画像はイメージ(新刊JPより)。

 仕事がうまくいかなかったり、プライベートで人間関係がギクシャクしたり、人間は悩み多き生き物だ。心に悩みや問題が生じたとき、聖徳太子、親鸞、福沢諭吉ら、この国の先人の言葉は良き道標になる。

 この国の先人の言葉に触れる上で良い教材となるのが、2021年から大学入学共通テストに移行したセンター試験における倫理の問題だ。

日本人は本当に「サムライ」なのか

 『悩んだら、先人に聞け センター倫理で日本の思考の型を学ぶ』(相澤理著、笠間書院刊)では、ベストセラー『東大のディープな日本史』の著者であり、長年にわたり、東進ハイスクール・東進衛星予備校講師としてセンター試験倫理対策講座を担当し、現在は通信教育予備校「早稲田合格塾」のほか、首都圏の高校で受験指導にあたっている相澤理氏が、先人たちの言葉をセンター試験(現・大学入学共通テスト)の「倫理」の問題を題材に深く解説する。

 スポーツの日本代表が「侍ジャパン」や「サムライブルー」と呼ばれている。これは「」や「武士道」が日本の伝統であると思われているからだろう。また「あの人は現代に生きる武士だ」と、他人のために自己犠牲をいとわない人物や確固たる信念をもって一つのことに取り組む人物などに対する賞賛として、このように言うことがある。「侍」や「武士道」と称されるのは、私たちが武士の血を引いていることを自明として、武士に理想的なイメージを投影しているからだ。

 しかし、江戸諸藩が行った調査などを見ても、武士は全人口の7%程度と推定されており、8割以上を占めていたのが百姓だ。弥生時代以来、この国が稲作を中心としてきたことを考えれば、「私たちは農民の血を引いている」と言うほうが、事実として適切だ。

 また、戦場で「我こそは」と名乗り、一騎討ちを挑むさまは、武士の正々堂々としたあらわれだが、そのような場自体が近世の天下泰平の世では失われている。すると、主君への忠誠が武士の本分とみなされるようになる。私たちは、これらを一緒くたにした武士のイメージを持っているが、それはどの時代にも存在していなかった武士なのだ。

 武士について、よくわかっていないにも関わらず、現代の人たちは「武士」を理想像として描く。なぜ、武士道を理想とするのか。本書では、センター倫理の問題を通じて、武士とは何か、伝統とは何かを紐解いていく。

 センター倫理では、日本思想で一つの大問が用意され「善行とは何か」といったテーマ設定をした上で、それに関連して古代以来の思想家について問うていく、という構成になっている。本書から、倫理の問題を辿っていくことで、悩みを解決するヒントが得られるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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