自分の意見を声高に主張する人を前についつい言いくるめられそうになったり、高圧的な人の押しの強さに負けて自分の意見を引っ込めてしまった経験がある人は少なくないだろう。でも、考えてみれば声の大きさや相手の態度は、意見の正しさとは関係がない。どんな相手 であっても毅然とした態度で、反論すべきところは反論し、言い負かされない。その場の雰囲気に流されて不本意な選択をしない。そんな人になるには「議論の力」が必要だ。
日本人が議論に弱い理由
日本では長らく、相手の話をさえぎらずにひとまず最後まで聞くのが美徳とされてきた。不明な点があっても、相手の話をさえぎらず、質問はすべて話し終わってから、というのが行儀のいい話の聞き方だった。
これはこれで日本の文化なのだが、一方で主体的な話の聞き方にはなりにくく、どうしても相手が話したとおりに理解しようとする傾向が強くなってしまう。本来なら相手の話を中断して質問を差し挟んでもいいはずなのだが、日本ではこれが「失礼」とみなされてしまうこともある。日本人が議論下手だと言われるのはこうした文化的な土壌と無関係ではないだろう。
話の途中に異議を唱えられたり、質問を挟まれたりすることが少ない日本で生まれやすいのが「声の大きな人」である。
「声が大きい」というのは、話し声の大きさだけではありません。態度が大きい、断定と断言が多い、身振り手振りが大きい、あるいは話の主語が大きいといったことまで含みます。そうした人は押しが強く、威圧的です。
こういう人がいると、自分が異なる意見をもっていても、ろくに議論をしないまま、何となく言い負かされた感じになります。(『議論の極意 どんな相手にも言い負かされない30の鉄則』より)
『議論の極意 どんな相手にも言い負かされない30の鉄則』(紀藤正樹著、SBクリエイティブ刊)はこうした声の大きな人に言い負かされないための秘訣を授けてくれる。
「声の大きな人」に言い負かされない秘訣とは
前述の通り、意見の正しさは声の大きさとは何の関係もないし、声の大きな人が議論に強いとも限らない。彼らに言い負かされないようにするためには、相手の話に矛盾点があったときにすぐ気づいて指摘することと、理屈は通っていても自分が納得できない時に、相手と同じくらい論理的に筋の通った理屈で反論できるようになることが必要だ。
特に相手に反論する際は「例外的事情」を取り込むこと、「大前提」を動かすことでやりやすくなる。
たとえば「子育ては両親の義務である以上、両親が共同で子育てをすべし」という理屈に対して、「そうはいっても共働きしなければ生活費を稼げない夫婦もいるため、祖父母や保育園の手を借りるのはあり」というように「例外的な事情」に注目することで反論はしやすくなり、「子育ては両親の義務」という大前提自体を動かして「子育ては両親の義務であり国の義務」などとすることでも反論はしやすくなる。
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肝心なことは、相手の声の大きさにまどわされず、相手の話のどこがおかしくて、どこが自分の意見と違うかを、相手の話を聞きながら頭を整理しておくこと。
声の大きさに押しやられたり、あるいは声の大きさに自分も声を張り上げて対抗するのではなく理屈で戦う力を身につけることは、SNSなどでさまざまな人の意見が目に飛び込んでくる現代を生きるために役立ってくれるはずだ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。