(光文社新書/山口周)
――山口さんは現在は組織開発、リーダーシップ育成を専門に行うヘイグループにてプリンシパルという役職ですが、もともとは電通で働いていました。その後、コンサルティング業界へ転職したということですが、これまでの職歴について教えていただけますか?
山口周氏(以下、山口) 職業人生は、電通でスタートしました。電通での仕事は忙しかったですが、とても充実していました。ある時、それまで非常に多忙だったこともあり、時間に余裕のあるクライアントの担当になりました。しかもその頃は電通にしては珍しく定時で帰ることができました。会社側としては、その期間に自分で勉強をしたりと自己投資しなさいといったことだったと思います。そこで当時騒がれていたインターネットについて勉強したところ、広告代理店の将来性を考えたり、ネットのほうが面白そうだなと思うようになりました。そしてサイバーエージェントへ執行役員として入りました。しかし、お金に目がくらんでの、この転職は失敗でした。ベンチャー企業を上場まで導くような人たちは、「お金を愛している」というくらいのエネルギーを持っています。私もお金は好きですが、そこまで好きではありませんでした。
――その後、コンサルティングファームのブーズ・アレン・ハミルトンへ移られますが、どういった理由からだったのでしょうか?
山口 当時、人気業種になりかけていたコンサルティング業界へ行けば、いろいろなテクニックも身につき、給料もアップするだろうということで、ブーズ・アレン・ハミルトンへ移りました。サイバーエージェントとブーズ・アレン・ハミルトンへの転職は自分で決めましたが、その後のボストン・コンサルティング・グループ(BCG)やA.T.カーニーといった戦略コンサルティングへは、誘いがあって移りました。ただ、戦略コンサルティングは、毎回テーマが変わります。自動車会社を担当した次は、広告代理店や飲料メーカーといった具合です。確かになんでもできるようにはなりますが、専門性が身につきません。私は、最終的には大学で教えたいので、そろそろ専門性を身につけたいと思っていました。そんな時にBCG時代の同僚が現在勤めているヘイグループにいて、同社への誘いを受けました。まさに本書にも書いたハプンスタンス(スタンフォード大学教授のジョン・クランボルツ氏が提唱した、キャリアは偶発的に生成されるという「ハプンスタンス・セオリー」)です。呼び水が来て、自分の成長カーブが寝てき始めているなという時に話が来たので、転職しました。
――まさに「寝て待て」ということなのでしょうが、よく転職に関する本などでは「好きなこと」や「得意なこと」を重視し転職しなさいと書かれています。ですが、本書ではそうではありません。山口さん自身、過去においてそのふたつを重視して転職した経験はありませんか?