今回は、学業が重視されるようになった後、組織に求められる人材像について考えてみたいと思います。
従来、日本企業では体育会系出身者はものすごく優遇されてきました。筆者自身が大学新入生だった1990年代前半の春、キャンパスではさまざまな部活やサークルが勧誘活動を行っていましたが、運動部系からはたいていこんな話をされたものです。
「うちに入ると、銀行、証券系はどこでもOB枠があるので就職は楽勝だよ」
「我が部は毎年大手商社に複数名採用していただいている」
「うちは日本銀行に採用枠がある」
そのような誘い文句に釣られて入部する人もいましたが、実際にボート部の知人で、4年間留年したにもかかわらず大手企業に内定した人もいるので、かなり強いパイプだったのだろうと思われます。
もちろん、彼らが評価されるのは「体力がある」「上下関係、礼儀作法をわきまえている」という理由ではありません。筆者が、実際に採用から成果評価、労務管理の仕事をひととおり経験してわかったことは、体育会系の人材は組織人として極めて安定しているのです。
●リスクヘッジとしての体育会系
ポテンシャルベースで採用する(つまり大学受験時に偏差値の高かった人を採る)場合、企業側から見ると大きく2つのリスクがあります。それは、「地頭は良いが、4年間で頭の回転が悪くなっている可能性がある」「社会不適格、自己破滅型の人材かもしれない」というリスクです。
4年間ほとんど授業にも出ず、遊びやアルバイトにのめり込んでいた人や、毎日浴びるように酒を飲んだりギャンブルにはまっていた人は、いくらポテンシャルがあっても組織の一員としては資質に疑問が残ります。実際に、そういうタイプは隙あらば仕事を怠けたり逃げ出したり、あるいは会社に来なくなってしまうことも少なくないのです。ひどいケースでは、横領する人もいます。
その点、卒業時まで体育会系に在籍していた人材は、まずそういう乱れは出てきません。4年間放牧していた馬と、4年間みっちりトレーニングセンターで調教された競走馬と言えばわかりやすいでしょうか。それぐらい、体育会系は組織に馴染んでくれます。要するに「ポテンシャルの追加の品質保証書」みたいなものなのです。これが、彼らが日本企業から愛されてやまなかった理由です。