違法なだけではなく社員を捨て駒扱い
まずは、ブラック企業とはどのように定義されるのか? 前出の新田氏は「経営者に労働基準法を筆頭とした法律を守ろうとする意識がなく、自分たちの私利私欲のために、社員、取引先、顧客をないがしろにしている会社」をブラック企業とする。
「特に、社員に過剰な自己成長を煽る経営者には要注意です。社員の成長の基準は経営者自身が勝手に決めることができるため、ハードワークを行うことが『成長』の条件だと、都合のいいように定義されてしまうことにつながるからです。また、社員の自主性をうたう経営者にも気をつけたほうがいいでしょう。社員自身に高いノルマを設定するように誘導し、それを『自主的』だと胸を張っている勘違いな経営者もいます」(新田氏)
さらに、若者の労働問題などに取り組むNPO法人「POSSE」代表の今野晴貴氏は、ブラック企業をこう定義する。
「サービス残業や過労死といったものは、『ブラック企業』という言葉が出てくる以前から、日本社会で問題になっていました。しかし、その代わりに生涯を通じて生活の面倒を見るという企業が多かったことも事実です。一方、現在のブラック企業には、まったくそんな心づもりはなく、使えなくなったら容赦なく社員を切り捨てようとする。つまり、労働者が『働き続けられる環境があるかどうか』で判断したほうが、現在のブラック企業の定義を考える上で有効です」
すなわち、「労働基準法違反」や「違法な行為を行なっている」という観点だけでは、ブラック企業を見分けることができないという。今野氏はこう続ける。
「90年頃のバブル崩壊までは、過酷な労働をしなければいけないのは若い時期だけで、年齢を重ねるごとに過酷さはだんだんと緩和され、給料も上がっていくという認識が労使間で共有されていました。いわゆる日本型雇用といわれる終身雇用や年功序列といった制度がその典型です。その代わり、社員は企業の命令を絶対的に遵守するという、ある種の『契約』があったわけです。つまり、賃金が支払われないサービス残業など、違法なことを我慢する代わりに、得るものも大きかったといえます。しかし、そうした日本型雇用を維持できたのは、70年代以降も続いた日本の右肩上がりの経済成長があったからこそ。バブル崩壊以降は低成長時代に突入し、企業が社員の生活を守る力がなくなっているのにもかかわらず、企業の強い命令権だけが残ってしまっている状態です。そのため、ブラック企業が現在、社会的な問題になってきているのです」
社員を育て、生活を守っていくつもりのない企業にとって、社員はまさに捨て駒。人件費の安い若い時期に猛烈に働かせ、ある程度の年齢になったら切り捨てるという手法も横行しているという。それに加え、ブラック企業は社員のスキルを伸ばそうとせず、OJT(企業内教育)が皆無に等しいことも特徴として挙げられる。結果、「転職しても、ほかの会社でやっていけるのか」と社員が不安を募らせ、退職を妨げることになってしまう、と今野氏は語る。
ブラック企業を生み出す日本社会の構造的欠陥
このように労働者が圧倒的弱者となってしまう背景には、日本の社会制度の不備が指摘される。
「もともと日本では、手厚い企業福祉を前提として社会設計がなされていた側面があります。住宅手当や家族手当など、本来では国家が税金を通じた再配分で保障する部分を、企業福祉が代替していました。しかし、長引く不況で企業は手厚い福利厚生を維持できなくなってしまったことから、労働者には相当きつい社会になっていると言えます」(同)