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大塚将司「【小説】巨大新聞社の仮面を剥ぐ 呆れた幹部たちの生態<第1部>」第14回

大手新聞社長、海外出張に愛人同伴でブランド品買い漁り、ついに怪文書が…

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「Thinkstock」より
【前回までのあらすじ】ーー巨大新聞社・大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、内々に業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎と合併話を進めていた。割烹「美松」で、村尾、両社の取締役編集局長との密談を終えた松野は、一足早く店を出て、常宿にしている水天宮のホテルに向かった。そして、スイートルームで10年来の愛人である社長室の花井香也子を待っていた。部屋に入るなり香也子は、「誰かに見張られている気がする」と言い、7年前に社内に流れた、ある怪文書の話になったーー。

 怪文書がばらまかれたのは、「魚転がし事件」で大都社内が疑心暗鬼になっていた7年前だ。当時大都新聞社長だった烏山凱忠と向島芸者、秀香との愛人問題を暴く怪文書が乱れ飛んでいた。その中に、松野の社内不倫を暴くのもあった。

 松野をめぐる怪文書は、後継社長に松野の同期の副社長、谷卓男(現大都テレビ社長)を据えたい烏山が、側近を使って流させたとみられていた。だが、怪文書には「松野の不倫相手はマーケット取材をしている女性記者」と書かれていて、香也子と別人が噂に上った。

 新聞業界では平成になる頃から女性記者が増え始めたが、当初は帰国子女の情実入社がほとんどだった。大都も同様で、噂に上ったのは香也子と同い年、昭和41年(1966年)生まれの洞口彩子だ。

 編集局次長だった松野の紹介で、平成3年(91年)に入社した。松野がロンドン特派員だった時、大手証券の駐在員だった彩子の父親に世話になったのが縁だった。英語のできない松野の代わりに、記事を書いたりしてくれた恩人だった。

 彩子はロンドン大学卒で、最初は国際部、欧州担当の内勤記者だったが、途中から経済部に異動になった。当時は為替マーケット担当の記者で、清楚な美人として有名だった。

 「怪文書で僕の不倫相手として噂になったのは君じゃないよ。洞口君だったじゃないの」

 松野は香也子の肩に腕を回して、なだめようとした。

 「そんなことわかっているわよ。でも、私、10年以上社長室にいて、海外出張にもよく同行しているじゃないの。それで、今、噂になっているわ。パパは鈍すぎるのよ」

 香也子が入社したのは彩子より1年早い平成2年(90年)で、仲介したのは専務の太井保博だった。松野の5年下の昭和44年(69年)入社で、昭和21年生まれの65歳、年齢も5歳年下だった。出身は松野の経済部に対し政治部だ。

 太井が政治担当のワシントン特派員だった時、ジョージタウン大学の学生だった香也子がワシントン支局でアルバイトをしていたのが縁だった。根暗でもてないのに、太井は無類の女好きだった。当然、下心があって、香也子を大都に入社させた。しかし、香也子は経済部の配属になり、マーケット担当となった。政治部次長、政治部長と本流を歩んだ太井と畑違いとなったこともあり、2人の関係は疎遠になってしまった。

●ちやほやされた女性記者

 平成になってしばらくは女性記者が少なく、取材相手からはちやほやされた時代だった。香也子は彩子ほどの美人ではなかったが、彩子同様にモテモテだった。いつしか、妻子持ち大手銀行の為替ディーラーと深い仲になり、その「略奪愛」が週刊誌にすっぱ抜かれた。

 入社6年目のことだった。そうなると、記者として使うわけにはいかず、美術展などのイベントを手掛ける国際事業本部に配置換えになった。この時、担当常務だった松野との接点が生まれたのだが、香也子の「略奪愛」は3年で破局を迎えた。破局が表沙汰になることはなかったが、松野が傷心の香也子に救いの手を差し伸べた。「心機一転」という名目で、国際事業本部から社長室に配置換えしたのだ。