大手新聞社長、海外出張に愛人同伴でブランド品買い漁り、ついに怪文書が…
当時の松野は自他共に認める次期社長の本命だった。もちろん、社長室への配置換えには下心がないわけではなかった。身長155cm前後の彩子は小柄な和風美人という趣だったが、160cm前後の香也子は眉が濃く、きつい感じがするものの、すらりとした体形が魅力だった。一方で、恐妻家の松野には常にためらいがある。女性には太井のように猪突猛進することはなく、それが女性たちに安心感を与えた。
そんな状況で、2人が海外に出張し、同じホテルに泊まり、酒の酔いも手伝えば、2回り以上の年の差があっても、深い仲になるのは自然の成り行きだったのかもしれない。しかし、社内には「恐妻家が女性問題を起こすはずがない」という先入観があった。しかも、松野自身も、こと女性問題に限っては細心だった。若手社員の間で噂になっていたものの、普段接している幹部社員の間で、香也子との関係が取り沙汰されることはあまりなかった。
「大丈夫、香也ちゃん。僕だって社長だから、そんな噂があれば、もう週刊誌か何かの取材を受けているはずさ。それはないんだ。とにかく、心配しなくていい。今日は特別な日なんだよ。早くコートを脱いで向こうに行こう。いいだろう」
松野は肩を抱いていた香也子をくるりと回転させ、手に持っていた少し大きめのハンドバッグを受け取った。そして、黒のバーバリーのトレンチコートのベルトの結びを解き、コートを脱がせた。受け取ったハンドバッグはベージュ色のブルガリで、松野が自分のビジネスバッグと一緒に買ってプレゼントしたものだった。自分のバッグに並べて執務用デスクに置くと、コートはクローゼットのハンガーに掛けた。
香也子はダークブラウンのカシミヤのセーター、そして、下はベージュのスラックスに、黒のロングブーツという装いだった。首にエルメスのスカーフを巻き、セーターはVネックで純白の絹のブラウスがのぞいていた。
「パパは私たちの世代の社員とは、ほとんど付き合いないでしょ。だから、そんな呑気なこと言っていられるの」
香也子は首に巻いたスカーフ、そして、首の後ろで束ねていた髪を解きながら、クローゼットから戻ってくる松野に向かって口を尖らせた。
●記念日のドンペリ
「今日は特別な日だから、君の好きなドンぺリを用意して待っていたんだよ」
松野は淡いオードトワレの香を漂わせ、香也子の背中に手を回し、促した。
「特別な日?それでドンぺリが飲めるの?」
少し機嫌を直した香也子は怪訝そうな声を出したが、松野にもたれるようにした。
松野はルームサービスに注文した「最高級のシャンパン」がドンぺリだった偶然に感謝し、内心ほくそ笑んだ。窓際のソファーまで抱きかかえるようにして、松野は香也子を連れて行き、ソファーに腰掛けさせ、自分もその隣に腰を下ろした。そして、黒髪をなでるように梳き始めた。
「香也ちゃんは忘れちゃったの? パリのホテルでドンペリ飲み過ぎて酔っ払っちゃったじゃない? それで……」
2人が一線を越えたのはちょうど10年前の今日、場所はパリの最高級ホテルだった。松野は香也子の髪を梳くのをやめ、手を肩に回した。そして、腕を引き寄せ、唇を求めた。
「ちょっと、待って。よく覚えていないの。でも、10年前のちょうど今日だったのね」
「そうだよ。だから、今日もドンぺリを用意して、待っていたんだ」
「そうね。ドンぺリを飲んだのは、あの時が初めてだったわ。それは覚えている……」
香也子はソファーの前のガラス製のセンターテーブルのほうに身を乗り出し、ワインクーラーに入ったドンぺリを取り上げ、しげしげと見つめ、考え込むような素振りをした。ボトルを戻すと、再びソファーに身を沈めた。そして、松野に枝垂れかった。
「あの時、パパは『嫌だ、嫌だ』とぼやいてばかりいたわね」
香也子は上目遣いに呟いた。松野は何も言わずに香也子に軽く接吻した。
●海外出張に愛人を同行させる
10年前の大都では、社長の烏山が権力をほしいままにして、有頂天の時だった。傍目を気にすることもなく、秀香に入れ揚げ、「バー秀香」に入り浸り傍若無人に振る舞っていた。