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なぜ性表現を規制?表現の自由の危機?警察は珍妙な指導、最高裁判断とズレも

文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授
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 実際、現在でも日本は、刑法の中に厳かに「わいせつ物頒布・販売罪」を安置しているが、それが何のための規制なのか、つまりその保護法益について国は十分に説得力のある説明をしているとはいえない。それにもかかわらず、警察など規制当局は、現在に至るまで、あたかもそこが呪われた場所であるかのように、性器を目の敵としてしつこく取り締まりを行っている。また最近では、パソコンやスマートフォンの登場で大きく変容する青少年の情報環境に“ついていけない”大人たちの漠然とした不安に便乗するように、「青少年の健全育成」を名目とする表現規制を次々に強化している。しかしこれは、一種の思考停止状態ではないだろうか。

●最高裁判断は、芸術目的の作品への規制は消極

 もちろんこれまで、日本の性表現問題にまったく進歩がなかったわけではない。2008年2月には最高裁判所が、性器の写された写真であっても、それが「現代美術に高い関心を有する者による購読、鑑賞を想定したもの」であれば、いたずらに禁圧されないという判決を出している。この最高裁の示唆を踏まえれば、警察などは少なくともアートの文脈で提示された作品については、仮にそれが性器を写したものであっても、それを取り締まる際には相当に抑制的でなければならないことになるはずである。そうだとすれば、少なくとも前記の(2)(3)の事例などは、最高裁判例に背く過剰な規制の疑いが濃厚であるということになろう。

 9月24日付東京新聞の報道によると、(3)の事件の際、警察は美術館に対し「女性器は足を開かなければいい、男性器は股間にはさめばいい」などという珍妙な指導を行ったと報じられているが、彼らはいったいなんの根拠・権限があって、表現活動にこのような野蛮な口出しをしているのであろうか?

「たかが性のことで何をムキになっているのか」との指摘もあるかもしれないが、公権力が過剰に市民社会の道徳に踏み込み、それを善導しようとすることに、私たちはもっと警戒心を持つべきであろう。その小さな「アリの一穴」が、秘密保護法や集団的自衛権などと相まって、市民を再び危険な「あの時代」――奇妙な精神論がまかり通る中、止めようもなく無謀な戦争に突き進んでいった時代――に連れ戻さないとも限らないのだ。
(文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授)

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