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天下分け目の戦い、兄と敵対した真田幸村の“生き残り戦略”とは? その決断力を学ぶ

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※画像:『真田幸村 逆転の決断術』(野中根太郎/著、誠文堂新光社/刊)

 NHK大河ドラマ『花燃ゆ』も13日に最終回を迎え、来年の大河ドラマが気になるところ。2016年の大河ドラマ『真田丸』の主人公は、堺雅人さん演じる真田幸村だ。脚本は三谷幸喜さん。戦国武将の中でも特に人気が高い真田幸村はおおいに注目を集めるだろう。

 幸村の人生は決断の連続だった。では彼は何を大事にして決断をしてきたのだろうか。
 『真田幸村 逆転の決断術』(野中根太郎/著、誠文堂新光社/刊)では、戦国最強の武将と謳われた幸村の下した数々の決断とその背景にある思想や状況を解き明かすためのエピソードが披露されている。

■天下分け目の関ヶ原、真田家のとった戦略とは

 1600年の関ヶ原の戦いにおいて、西軍につくか東軍につくかは、各武将の決断の分かれ道だった。幸村は父・昌幸と共に西軍につき、兄・信之は東軍につくことになる。これはどちらが戦に負けても、真田本家を存続させるための戦略だった。

 徳川軍の家康の方は豊臣恩顧の有力大名たちを集めて、江戸から東海道を上ることにした。一方の徳川譜代の家臣たちでなる主力38,000は、秀忠が率いて中山道から西に向かうことになった。その秀忠軍は、真田軍を背後に残していたら不安が残るため、途中の上田城を押し潰していくか、降伏させたかった。真田軍は多くて3,500くらいの兵といわれていたため、簡単に潰せると思ったからだろう。しかし、相手は百戦錬磨の戦上手だった。

 まず、昌幸は9月3日に信之に使者を出し、「頭を剃って秀忠のところに行き、降参する」と言ってよこした。これを聞いた秀忠は喜んで、上田城を明け渡したら許すとした。しかし、昌幸は、ああだこうだと条件を出しては時間を引き延ばしはじめる。この昌幸の要望がやっと時間稼ぎとわかった秀忠は、全軍に上田城の攻撃命令を下したのだ。

 9月5日に信之へ砥石城の攻撃を命じた。砥石城は15年前に信之自身がここに潜み、徳川軍の意表をついてさんざんに破ったところだった。つまり、今度は弟の幸村がここを守り、徳川軍の信之が攻めるという皮肉なこととなったのだ。

 ところが、幸村は信之が攻撃してくるとわかると、父・昌幸の了承の下に、さっさと砥石城を引き上げ、上田城に入る。兄と戦うわけにはいかないというのだ。幸村をみすみす見逃し、信之は幸村が逃げた後、このまま砥石城を自分が守るが、その後、大死闘に加わっているふしはない。

 この一連の動きを見ると話ができすぎているのだ。この1カ月ほど前の1600年7月21日。犬伏にて、親子三人の密談が行われていた。有名な「犬伏の別れ」だ。この3人の秘密の話し合いの中身は、人払いをしていたためわからない。おそらく昌幸・幸村は西軍に、信之は東軍につくことになるという話がなされ、互いの立場や考えを理解し、十分な協議の上での別れだったとされる。

 すべては犬伏の3人の密談にあったのかもしれない。それでもそんな密約など疑わせない信之の人柄や秀忠の人を信じる性格の良さが際立つ攻防でもあった。真田幸村が優秀な武将なのは事実だが、父・昌幸や兄・信之も注目すべき人物であることは間違いない。

 本書では、幸村のエピソードとともに、その生き方と決断術を読むことができる。来年の大河ドラマ『真田丸』の予習も兼ねて、読んでみるのもいいのかもしれない。
(新刊JP編集部)

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※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。