「抜け殻」シャープに、一体どんな存在意義があるのか?そこまでして潰さない意味は?
1月22日、シャープが官民ファンドの産業革新機構から3000億円程度の出資を受け、不振の液晶事業を分社化しジャパンディスプレイ(JDI)と経営統合させる方向が固まったと報じられた。さらに革新機構はみずほ銀行など主要取引銀行に1500億円の債務を株式化するなど金融支援も再要請するとされる。
革新機構はシャープの過半数の株式取得を目指しているため、同社は実質的に国の支配下で再建を進めることになる。
そこまでしてシャープを潰さないのはなぜか?
「債務の株式化」というと高尚な財務テクニックのように聞こえるが、これは銀行に対して債権放棄をお願いしていることに等しい。要は「借金をチャラにしてください」ということだ。シャープは2015年6月にも同様の手法により主力2行から2000億円の支援を受けている。
官民の資金をそれほどまでにつぎ込んででもシャープを存続させる理由は、なんなのだろうか。
そのひとつは、おそらく雇用の維持だろう。日本は解雇が非常にしにくい法制度になっていることからもわかるように、雇用の維持を重視する国だ。ビジネススクールで教官を務める友人が、学生(大半が社会人)に「企業の目的は何か?」と問いかけたところ、とある大企業の部長が「雇用の維持」と言って譲らなかったそうだ。それほどまでに、日本では雇用維持を企業の重要な役割と考える向きは強い。
シャープには連結グループ全体で約5万人の従業員がいる。これだけの人数が一気に職を失えば、確かに影響は少なくないだろう。影響は同社一社にとどまらない可能性も多分にある。これほどの規模になれば、取引先企業は中小を含めて非常に多数に上るので、連鎖倒産が起こる可能性が高い。そうなれば、周辺企業からも多くの失業者が発生する。日本経済全体にも影響を及ぼしかねない。まさに、「Too big to fail(大きすぎて潰せない)」だ。
顧客に価値を提供できなければ存在意義はない
しかし、である。
再建計画では、液晶事業を切り離すことになっている。さらに、白物家電などの事業も他社との再編を模索するようだ。そうなると、シャープには一体何が残るのだろうか。
当面残る事業は、テレビ、DVDプレイヤー、スマートフォンなどのデジタル機器、POS機器やFA機器などの産業用機器、半導体等の電子デバイスなどだ。しかし、一世を風靡した液晶テレビもスマートフォンも、今や韓国や中国に完全に押されている。それ以外についてもどれも他社製で代替可能で、「シャープ製でなければダメ」という製品が見当たらない。まったく強みが見えないのだ。