3月23日、筆者の生まれ故郷であり、中学・高校時代を過ごした神戸を訪問した。ポートアイランドにある神戸国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC)を見学するためだ。
KIFMECは、14年11月に田中紘一・京都大学名誉教授が中心となって開設した肝移植を中心とした病院だ。神戸市が土地を提供し、三井物産などが出資する特定目的会社が設備を整え、KIFMECが運営する。神戸医療産業都市構想の一翼を担う。
ところが、昨年4月、移植患者の死亡が相次いだことが報じられ、KIFMECは存亡の危機に立たされた。困ったKIFMECは日本肝移植研究会に調査を依頼した。同研究会は報告書の中で、その運営体制を糾弾した。4月24日、地元紙である神戸新聞は、以下のように報じた。
「報告書では、死亡した4人のうち3人は、救命できた可能性があり、残る1人は生体肝移植による治療が困難だったとしている。センターには抜本的な組織改革を求め、改革を終えるまでは移植手術を中止すべきだと提言した。手術を再開する場合は、生体肝移植に適しているかどうかを、肝臓内科医や経験豊富な移植医を入れた委員会で1例ごと検証するよう求めた」
この後も多くのマスコミが、KIFMECを批判した。患者は激減し、今年3月末に経営破綻した。お会いしたKIFMEC関係者は「それまで順調に患者数が増えていたので、あの報道が効きました」と言っていた。
筆者はこれまで、日本肝移植研究会の対応を批判してきた。それは、彼らが問題視したことが、患者の死因とは直接関係ないからだ。死亡例が続いたのは、他院で断られた状態の悪い患者に移植したからで、手術適応の問題だ。手術適応の議論は難しい。事後的に規範論を振りかざし、第三者が批判すべきではない。
死亡率7割とみるか、成功率3割とみるか
今回のケースでもっとも重視すべきは、KIFMECで移植を受けた患者が、肝移植以外に救命の方法はなかったことだ。さらに、ほかの病院では移植手術を引き受けてくれず、患者は田中医師に頼らざるを得なかった。
全身状態の悪い患者を治療すれば、成績が悪いのは当たり前だ。2月6日現在、KIFMECで移植を受けた患者10人中7人が移植後1年以内に死亡している。これを死亡率7割とみるか、成功率3割とみるかは難しい。
筆者が専門とする骨髄移植の領域では、進行した白血病で骨髄移植しか救命方法がない場合、患者の年齢が若く、ドナーがいれば骨髄移植を選択することが多い。移植後は放射線や抗がん剤の合併症、および移植片対宿主病という免疫反応で数割の患者が命を落とす。ところが、このことに文句を言う医療関係者は少ない。同じ移植治療でも、骨髄と肝臓ではまったく違う。少なくとも絶対的な正義は存在しない。治療法の選択とは、かくのごとく相対的なものだ。
医療の主役は患者と主治医だ。主治医が患者に十分な情報を提供し、患者がリスクとベネフィットを理解し、そして治療を受けたのであれば、ほかの医師がその決定を無闇に批判すべきではない。
もし、主治医の技量に看過できないほどの問題点があるならば、それを具体的に示すべきだ。日本の肝移植の第一人者である田中氏らのチームの技量に問題があったとは常識的には考えにくい。
研究会の名を借りて行う私的行為
日本肝移植研究会の医師たちも、このことは十分に理解していたのだろう。論点をはぐらかしている。
たとえば、当番世話人の具英成・神戸大学教授は、「神戸市がKIFMECを医療産業都市の中核施設としているのを念頭に、そもそも医療産業として生体肝移植が成り立つかどうかも議論したい」と新聞でコメントしている。KIFMECが成長すれば、神戸大のライバルになる。筆者には、具教授が「不祥事」を理由に商売敵を叩いているようにしか見えない。批判する医師たちの動きは、研究会の名を借りて行う私的行為のように映る。
一連の批判に対し、患者団体が「患者側の意見や対応から大きく乖離」と批判したのもうなずける話だ。KIFMEC関係者によれば、日本肝移植研究会の心ない対応の結果、「早期に肝移植を受けることができず、救えたかもしれない命を落としてしまった」と嘆く遺族までいるという。このような遺族の声に十分、耳を傾けるべきではないか。
神戸市の責任
では、このような事態に神戸市はどう対応したのだろうか。KIFMECは神戸市の肝煎りで始めたものだ。神戸市は、当事者としての責任の一端がある。真摯に問題点を検証すべきだ。
阪神・淡路大震災で甚大な被害を蒙った神戸市は、医療を復興の目玉にした。1998年には神戸医療産業都市プロジェクトを立案。2000年には財団法人先端医療振興財団(以下、財団)を立ち上げた。
ただ、うまくいっていない。財団の14年の財務諸表を見ると、経常収益の34%が補助金、寄付金が占めるのに、9500万円の経常赤字だ。固定比率261%、流動比率35%である。過剰な固定資産への投資が重荷となり、経営は悪化している。資産を食い潰しており、神戸市からの補助金がなければ立ちゆかない。
今回、KIFMECの周囲を見学したが、そこにあるのは市民病院や、STAP細胞事件で舞台となった理研。5月には県立こども病院が移転してくる。財団が作成したパンフレットを見ても、インキュベーションセンターやビジネスセンターが目立ち、事業主体は神戸市の外郭団体や神戸大学だ。神戸市の公共事業の失敗を、税金で穴埋めしているといわれても仕方がない。
神戸市は「iPSで世界を変える」など景気のいいことを言うが、実感が湧かない。先端医療を商品化して利益を上げるのは民間企業なのに、この地域では民間の活気が感じられないからだ。むしろ衰退している。ポートピアホテルの横にあった「バンドール」というホームセンター、KIFMECの傍にあったスーパー「イズミヤ」はなくなっていた。
医療関係で、ショールームのようなところに出店している民間企業はあるが、あくまでお付き合いという感じだ。ここで本気で商品開発や研究をしようという企業は多くない。これでは、神戸市の計画は絵に描いた餅だ。
今こそ神戸市は市民に情報を公開し、計画を見直すべきではないか。そもそも、ポートアイランドは、高度成長期に神戸市が住居の供給を増やすため、六甲山麓を削り、埋め立てた人工島だ。そのオープニングセレモニーが81年のポートピア’81だった。
ポートアイランドには多くの住民が移住し、多くの商業施設が新設され、大盛況だった。当時、神戸市は「株式会社神戸市」といわれ、自治体経営のモデルとして全国から賞賛された。味をしめた神戸市は、87年からポートアイランドの二期拡張工事を始めた。このときできたのがKIFMECのある場所で、一昨年、国家戦略特区に認定された。
ところが、今や閑古鳥が鳴いている。バブル経済の破綻、95年の阪神・淡路大震災での液状化が影響している。苦境を打開すべく、神戸市は政府機関や外郭団体を誘致したのだろう。そのなかで数少ない民間事業がKIFMECだった。ところが、それを潰してしまった。
問われる自助努力
神戸は民間の町だ。江戸時代は漁村だった。発展のきっかけは神戸港の開港だ。大勢の外国人、および一旗あげようとする流れ者がやってきた。そして交わった。ここから鈴木商店、その系列の神戸製鋼や帝人が出た。ダイエーや、たとえは悪いが山口組も神戸出身だ。
私の母校である私立灘高校は、神戸の造り酒屋である菊正宗、白鶴を経営する嘉納一族が設立した。開学当初から「日本一の学校にする」と言い、40年目に東大合格者日本一を実現した。ちなみに嘉納一族は流れ者ではなく、江戸時代からの名家だ。
かくのごとく、神戸は民間人が立ち上げた町だ。江戸時代に雄藩の城下町で、それが発展した武士の町ではない。古くは灘の酒屋、明治以降は神戸港を中心に商売人がつくった。
ところが昨今、神戸の衰退は著しい。人口で福岡市にも抜かれた。民間に元気がないからだ。KIFMECのケースでは、お上にすがり、せっかくの民間のチャレンジャーを潰してしまった。このままでは神戸の将来は暗い。
では、どうすればいいのだろう。
自助努力するしかないと思う。幸い、田中医師は「もう一度神戸でやる」と言う。倒れても、また立ち上がる。彼のような人材こそ、神戸に必要だ。神戸の皆さん、ぜひサポートいただけないだろうか。神戸のためにも、筆者も彼を応援したいと思う。
(文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長)