「アンダーコントロール」という言葉に象徴されるように、2011年3月に発生した福島第一原子力発電所の事故については、当事者によるごまかしや隠ぺいばかりが目立ち、5年が過ぎた今も国民に真実が伝えられていません。そこで、専門誌に掲載されてきた多くの論文から、原発事故と発がんとの関係について真相を探ってみることにします。
放射線被ばくを考えるとき、「ミリシーベルト(mSv)」という言葉が欠かせません。放射線にはいろいろな種類があり、ヒトの健康に与える影響も異なっています。mSvとは健康に与える影響力を表す共通単位です。たとえば事故前の日本国土の自然放射線量は年間0.5mSv、胸部レントゲン撮影は0.1mSv、胃のバリウム検査で10~100mSvです。
広島、長崎の被爆者に対する追跡調査によれば、1000mSvの放射線を浴びるごとにがんが60%ほど増えることがわかっています。しかし100mSv以下の低線量でどうなのかは、はっきりしていませんでした。
1986年、旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所で大爆発が起こり、広島に投下された原爆の400倍もの放射性物質が飛散したとされています。事故の直後から、多数の研究者による現地調査が行われ、現在にいたるまで4000を超える論文が専門誌に発表されています。信頼性に欠ける論文も少なくありませんが、いくつかは貴重なデータを提示してくれています。以下は、その要約です。
・幼い頃被ばくした人は、20年たっても甲状腺がんになるリスクが高い
・そのリスクは体内被ばく線量が1mSv増えるごとに0.5~0.7%ずつ増える
・ただし原発事故のあと半年以上過ぎてから生まれた子供は、甲状腺がんにならない
・被ばく線量が40mSvを超えると成人にもなんらかのがんが増える
事故処理作業者は別にして、一般の地域住民が健康被害を受けるとすれば、食品や飲料水、空気などを汚染した放射能が体内に取り込まれた場合です。なかでも放射性ヨードは、ヨード自体が甲状腺ホルモンの材料となるため、ほとんどが甲状腺に集積します。そのため、甲状腺がんの発生がとくに問題となるのです。
過剰診断
福島県では、チェルノブイリ原発事故の情報に基づき、18歳以下の子供たちに対する甲状腺がんの集団検診が行われています。公式発表によれば、事故後1~4年間で約30万人が受診したそうです。驚くのは、そのうち99人が甲状腺がん、またはその疑いと診断され、すでに手術を受けたことです。率にすると0.033%です。
事故前、厚生労働省から定期的に発表されていたデータでは、「19歳以下での甲状腺がんによる死亡例はゼロ」でしたから、異常に高い数字だということになります。しかし、これを放射能のせいと決めつける前に、考えるべきことがひとつあります。がん検診には「過剰診断(overdiagnosis)」の問題が常につきまとうということです。
かつて日本では、「神経芽腫検診」が行われていました。生後間もない赤ちゃんや小児に認められる特殊ながんを対象にしたがん検診でしたが、発見例のほとんどが「放置しても命にかかわらないもの」であることが、あとになって判明しました。2003年、厚生労働省は検診の中止を決めましたが、この間、過剰診断にともなう過剰な治療によって16人の赤ちゃんが命を落としていたのです。
福島県から遠く離れた地域で行われた調査によれば、4365人の子供を検診して1例の甲状腺がんが見つかったそうです(福島県での検診とほぼ同じ割合)。本来、子供の甲状腺がん死亡はゼロのはずですから、このデータは、検診によって過剰診断が生じたことを示しています。福島県の検診についても同じことがいえるでしょう。
残念ながら、放射能と発がんとの関係についてわかっているのはここまでです。断片的なデータを羅列するしかなく、真相はいまだ不明なのです。この難問に対しては、まず調査方法の間違いを正す必要があり、その上で科学的な分析と考察を続けていかなければならないでしょう。感情に流されず、冷静な対応が求められるところです。
最近になり、学術論文でもなく、政府の広報でもなく、またメディアの報道でもないところで真実が語られていることを知りました。原発に賛成している人、原発政策を推進している政治家には、ノーベル文学賞受賞のS・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)をぜひ読んでほしいものです。そのほかの文献は、拙著『放射能と健康被害 20のエビデンス』(日本評論社)にまとめましたので、ご参照ください。
(文=岡田正彦/新潟大学名誉教授)