就活の学歴差別は当然である…学歴によって基礎学力に大きな差、だが必須ではない
経営コンサルタント(自称)のショーン・マクアードル川上氏が、これでもかというほどの学歴詐称をしていたことが発覚した。学歴のみならず、国籍、顔、職歴、本名まで偽っていたようなので、史上まれに見る大ボラ吹きだったわけだ。詐称発覚後、同氏はあっと言う間に社会から抹殺されてしまった。
コンサルタントに資格は要らないので、私も「自称・コンサルタント」ということになるが、同業界に身を置く者として本件に関してはいろいろと思うところがある。
コンサルタントは一種のブランドビジネス
あらためてコンサルタントとは何かと考えてみると、それは一種のブランドビジネスなのではないかと思う。人としてのブランド価値を高めて、それに対して対価をいただいているのだ。
人のブランドとしてわかりやすいもののひとつが学歴だ。有名どころのコンサルティング会社のコンサルタントの典型的な学歴は、「一流大卒、米国有名ビジネススクールでMBA」だ。コンサルティング会社の基本戦略は、「超高学歴+国際的な香り=相当優秀な頭脳集団」というブランドイメージを築き上げ、それに対して対価を払っていただこうというビジネスモデルなのである(かなり乱暴な言い方だが)。これはもう水戸黄門の印籠みたいなもので、権威のありそうなロゴマークを出して「控えおろう!」とやるわけである。
ただ、水戸黄門の話が成り立つのは、黄門様が「助さん格さん、やっておしまいなさいっ!」と言った時に、助さんと格さんが必ず悪者に勝つからである。助さんと格さんが1度でも負けようものなら、水戸黄門の話はそこでおしまいだ。コンサルタントも同じである。単なる高学歴だけではさすがに成り立たない。最後に物をいうのはやはり実力だ。当然すぎる話である。
では学歴は単なる飾りで不要なのかというと、私はそうは思わない。学歴は学歴でやはり重要である。なぜならば、学歴は基礎学力の程度を間違いなく表すからだ。
どんな仕事でも基礎学力は必要である。高度な知識労働であればなおさらだ。「難しい文章は読めません、書けません、分析で使う数学もわかりません」では、それこそコンサルタントという仕事は務まらない。そして大学によって学力に相当の差があるのは厳然たる事実だ。入試問題を見るだけでも、はっきりいって驚くほどの差がある。
「就活の際に学歴で差別される」という話をよく聞くが、採用する企業側からすれば当然のことだ。それは差別ではなく区別だ。基礎学力という点で違うものは違うのだからしようがない。「学歴不問」というほうが私には不自然に感じる。