ダイエー創業者で、当時社長だった中内功氏(「功」は、正しくは右側が刀)が全盛期に、人を介して当時イトーヨーカ堂の役員だった鈴木敏文氏に「うちに来ませんか?」と声を掛けたことがある。これは流通業界でもトップシークレット級の話題で「知る人ぞ知る」といった類の秘話である。
5月26日、セブン&アイ・ホールディングスの株主総会後に鈴木氏はCEO(最高経営責任者)を辞し、名誉顧問となった。執務室はセブン&アイ本社ではなく、都内のホテルである。
経営トップから身を引いたとはいえ、「存在感は残る」と鈴木氏に近いメディアの記者は述べている。井阪隆一社長の喫緊の経営課題は、社内に巣食う“鈴木もどき”を一掃することに尽きる。
鈴木もどきのオペレーション・フィールド・カウンセラー(FC)を量産できたのは、通称「御前会議」と呼ばれるフィールド・カウンセラー会議があったからだ。以前は毎週、本部で開かれていたが、経費削減で今では2週間に1度の開催となっている。FCはセブン-イレブンの店舗を7~8店ずつ担当し、店舗経営の相談に乗るのが仕事で、およそ2500人いる。
FCの上にディストリクト・マネージャー(DM)が250人いる。DMはおよそ10人のFCに指示を出し、鈴木氏の教えを徹底的に叩き込むシステムになっていた。
20人のゾーン・マネージャー(ZM)がDMを束ね、オペレーション本部長が全体を統括し鉄の経営体制が貫徹されてきた。
DMは“ミニ鈴木”、ZMはまさに鈴木氏を体現したような存在で、ZM➝DM➝FCの本部が国内の1万8613店(2016年3月末時点)を完璧に統率してきたのである。
御前会議を仕切ってきたのが、今回、セブン-イレブン・ジャパンの社長に就任した古屋一樹氏だ。体育会系の体質で「陰の支配者」と呼ぶ声もあった。
セブン&アイの内紛が表面化するきっかけとなったセブン-イレブン・ジャパンのトップ交代は、井阪氏から古屋氏へ社長を更迭するというものだった。この人事がセブン&アイの役員会で過半数の支持を得られず、鈴木氏がCEOの退陣を表明することとなったのは周知の事実である。
セブン&アイの新体制で代表権を持つ役員は社長の井阪と副社長の後藤克弘氏の2人だけだ。後藤氏は秘書室長などを永らく務め、“鈴木親衛隊”の隊長と評されてきた。
セブン&アイの内部を統制できるか否かは、古屋氏、後藤氏という2人の鈴木もどきを、井阪氏がコントロールできるかにかかっている。
井阪体制vs.鈴木もどきの闘いの第2幕は、17年2月期決算がまとまる頃に決まる人事で切って落とされる。
井阪体制になっての最初の大型の人事となるが、鈴木氏と同じ敷地内に住んでいる息子の鈴木康弘取締役をどう処遇するのかにかかっている。井阪氏はトップとしての意思をきちんと示さなければ、禍根を残すことになると懸念する声も多い。