中内・ダイエーは長男の新規プロジェクトで躓いた。欧米で多く見られる倉庫型の低価格スーパー、ハイパーマーケットを潤氏は導入したが、36店も出店して大赤字をタレ流した。店舗にかけるコストを徹底的に削減し、低価格を実現するために天井は鉄骨をむき出しにした。中内氏は「安くすれば売れる」という価格破壊を実践して大成功を収めたが、潤氏は父親の教えの信奉者で、それを忠実に実践したといえる。
こんなエピソードが残っている。香川県坂出市につくったハイパーマーケットはトイレに便器を使わず、コンクリートの打ちっぱなしにした。こうすることが「安くすれば売れる」という父の理念に適うと思いこんでいた。もし、ほかの幹部社員がこんなことをやれば、中内氏は即座につくり直しを命じたはずだが、不思議なことに潤氏の考え方がまかり通った。
東京都大田区田園調布には中内氏本人が住む通称「中内御殿」があった。中内氏は、潤氏、正氏、長女の浅野綾氏それぞれが住むための家を近くに建てた。中内ファミリーが住むこの一帯は“ダイエーの天領”と呼ばれた。
「鈴木康弘氏と中内潤氏は、偉大な父親にコンプレックスを抱いているという点で似た者同士だ」という、興味深い指摘がある。正鵠を射ているのだろうか。
05年9月19日に83歳で亡くなった中内氏を偲ぶ「お別れ会」が同年12月5日、東京千代田区のホテルニューオータニで執り行われた。日本チェーンストア協会など流通関連の11団体が合同で行い、潤氏が喪主を務めた。
「お別れの会」はイオン創業者の岡田卓也名誉会長、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊・セブン&アイ名誉会長、堤清二・元西武百貨店会長、チェーンストア理論を日本に持ち込み、スーパーマーケットの“育ての親”として知られる渥美俊一氏など、戦後の流通業界の黎明期を築いた盟友たちが発起人になり一堂に会した。
中内氏は脳梗塞で倒れ、療養中の神戸市立中央市民病院で死去した。田園調布の自宅、兵庫・芦屋の別宅が差し押さえられていたため、中内氏の亡骸を自宅に戻すことができずに、大阪市此花区の中内家の先祖が眠る正蓮寺にそのまま搬送され、近親者だけで密葬を済ませた。
これでは、財界本流をして「野武士集団の巨魁」と言わしめた中内氏を送るには、あまりも寂しい。そこで岡田氏、伊藤氏ら、かつてのライバルたちが発起人となり、流通業界を挙げて流通革命の旗手を偲ぶ「お別れの会」が行われたのだ。
(文=編集部)