鈴木敏文氏と中内功氏の晩年は共通点が多い
流通業界のカリスマ経営者と並び称せられた鈴木氏と中内氏の晩年はよく似ている。端的にいえば、息子を出世させるために、経営者としての目が曇ってしまったのである。
鈴木家の次男・康弘氏の口癖は「昨夜、親父と相談した」だったとセブン&アイの社内やグループ会社の幹部の間で伝わっている。都合が悪くなると同じ敷地内に住む父親に告げ口をするといわれてきた。
ここ数年、執行役員や部長クラスの不可解な人事が行われたが、「その多くは、康弘氏が担当する実店舗とネット販売を融合させるオムニチャネルビジネス、『オムニ7』に距離を置いてきた人が飛ばされるというものだった。康弘氏に協力しなかった人たちへの報復や讒言によるものだった」(関係者)といわれている。
最初は噂程度だったが、徐々に真実味を帯びてきたことから、セブン&アイグループ内の危機感は最高潮に達した。
鈴木氏はオムニ7に1000億円を投下すると宣言し、これまでに200億円超のシステム投資を実施してきた。
井阪氏は「ポートフォリオ委員会」を設けて、グループ各社の予算や投資計画の妥当性を判断する。当然、オムニ7も厳しく査定されることになる。外資系証券会社の流通アナリストは、「即刻、残る800億円の投資を凍結すべきだ。オムニ7は昨年秋にスタートしたが、計画通りの成果が上がっていない」と指摘する。
オムニ7に客観的な評価を下さなければ、井阪氏も鈴木氏の“傀儡”などと揶揄されるおそれもある。井阪氏は「私に100日間の時間をください」と社長就任会見で述べた。10月上旬にも新しい経営方針を社内外に明らかにする見込みだ。
中内氏の晩年
対する中内氏の晩年はどうだったのか、振り返ってみよう。サラリーマン社長の鈴木氏と違ってダイエーのオーナーだった中内氏は、長男の中内潤氏を溺愛した。潤氏は33歳でダイエーの副社長にしたが、経営悪化でダイエーを退社。中内家の遺産として唯一残された学校法人中内学園流通科学大学の理事長になった。
中内氏は潤氏に流通部門を、次男の正氏にレジャー部門を任せ、中内王国を盤石なものにしようとしたが失敗した。晩年には有力な幹部を次々と放逐し、ダイエーには中内一家以外誰もいなくなってしまった。