ソニーから切り捨てられドン底に落ちたVAIO、想定外の完全復活の舞台裏…緻密な成長戦略
あのソニーからカーブアウトされ独立した「VAIO」は2016年度、2期連続の黒字化を達成した。
VAIOはもともと、ソニーのPC(パーソナルコンピュータ)ブランド名だ。1996年に誕生し、先鋭的なデザインと、最先端の機能で一世を風靡した。最盛期には同事業に約1100人が携わり、世界で年間およそ870万台を販売した。が、タブレット端末やスマートフォンの台頭、PCのコモディティ化のなかで、13年度にはPC事業は917億円の営業損失を計上した。
14年、ソニーはPC事業を日本産業パートナーズに売却した。社名をズバリ「VAIO」とし、再スタートを切った。
VAIOは、なぜ再生できたのか。また、今後どう進化するのか。そこには、大企業の不採算事業再建や、中小企業の経営立て直しのヒントが隠されている。6月に新社長に就任した吉田秀俊氏に聞いた。
“死に物狂い”が垣根をなくす
片山修(以下、片山) VAIOは独立後、B2CからB2Bへ大きく方向転換しました。なぜですか。
吉田秀俊氏(以下、吉田) PCのニーズは、スマホやタブレットに流れて縮小していますが、ゼロにはならない。というのは、キーボードが必要な人は、クラムシェル型(折り畳み式)を使うからですよ。プライベートではタブレットを使っても、ビジネスシーンでは書類やホームページをつくるなど、キーボードに対するニーズは多い。
したがって、われわれは生き残るためにB2Bに軸足を移さざるを得なかったんですね。とはいえ、最初は苦労しましたよ。2年目以降、100社以上の法人様から声を聞き、仕様を勉強して、ご要望を盛り込んでいきました。
片山 独立当時、販売はソニーマーケティングに依存するかたちでした。15年に法人営業部門をゼロから立ち上げ、あっという間に黒字化したのはすごいですね。
吉田 売り上げは命ですからね。そこは、がんばりました。“死に物狂い”です。大きな会社の一部が“死に物狂い”になるのと、資本分離された一社が全体で“死に物狂い”になるのとでは、「覚悟」が違います。
片山 法人向けの技術営業は、製販一体がうまく機能したわけですかね。
吉田 大きい会社ほど、製販一体は難しい。その点、わが社は240人で、長野県安曇野の本社と五反田の東京事務所の間を年がら年じゅう往来して、つねにコミュニケーションを図ってきました。