ソニーから切り捨てられドン底に落ちたVAIO、想定外の完全復活の舞台裏…緻密な成長戦略
片山 すでに待ったなしの状態だったから、うまくいったんですか。
吉田 その通りです。経営の危機感をみんなが持ちました。はじめの1年は、どうしたものかと途方に暮れたと思いますよ。だけど、危機感があれば垣根なんてなくなっちゃいます。
片山 就任会見では、「ハンズオン経営」とおっしゃっていましたが、どういう意味ですか。
吉田 大企業はすべて分業ですので、経理、技術、生産などさまざまな専門のトップがいます。しかし、中小規模は社長が360度すべてに目配りしないといけない。つまり、トップが経理、技術、営業、企画、すべてを知っていないといけません。ただし、権限委譲しないということではありません。
オーナーと同じように“自分の会社”という思いで経営にあたることですね。そうすると、この棚に何が入っているのかまで気になるし、知らなきゃいけない。私は、工場の敷地のウラまで見て回ります。
片山 ある種のオーナーシップですかね。
吉田 “疑似オーナーシップ”です。私は、オプトレックスやエルナーなど中小企業の経営を経験して、それを学びました。
家電メーカーの「失われた20年」
片山 吉田さんは、日本ビクター時代から37年間にわたって、電機業界の最前線を歩いていらっしゃいました。今、日本の家電メーカーは元気がない。なぜ、このような事態になってしまったと考えますか。
吉田 私は1980年に日本ビクターに入社し、VHS対ベータ戦争の真っ盛りに、ビデオ事業部で海外営業をしていました。VHSの勝利後、新たにビデオカメラが登場し、VHS‐C対8ミリカメラの戦いが始まりました。8ミリが定着すると、次にビデオカメラの小型化戦争が勃発しましたよね。
片山 まだバブル崩壊前で、日本の電機メーカーの絶頂期に向かっていた頃の話ですね。当時、日本勢は世界市場でも圧倒的に優勢でしたよね。
吉田 アナログ時代でしたからね。ところが、現在の原型となるデジタルビデオカメラ、さらに小型デジタルカメラの時代に入りましたでしょう。ここから、時代が大きく変わったんです。
片山 日本の家電メーカーは、アナログ時代からデジタル時代への転換に失敗したといわれます。
吉田 必ずしも、それだけとはいいきれないと思います。というのは、ちょうどアナログからデジタルへの変遷期に、台湾をはじめとする新興国が一気に力をつけてきたんですね。デジタル化とは別に、生産体制にも変化が訪れた。一本のラインに100人もの人が並んでいた時代から、人員、労務費、組立部材、すべてが従来の数分の1ですむようになった。