父が勤めていた山一證券が廃業…当時14歳の私が起業家になるまで
2017年8月に創業した株式会社FUNDBOOK(ファンドブック)。同社が手掛けるのは、M&A(企業の合併・買収)アドバイザリー事業だ。その事業の特筆すべき点は、「中小企業経営者の問題解決に特化したM&A」を主軸にしているところにある。
同社の代表取締役CEO(最高経営責任者)で『M&Aという選択』(プレジデント社)の著者である畑野幸治氏は、「経営者や従業員が幸せになれるM&A」という理念を掲げている。
東京商工リサーチの調査によれば、2016年の中小企業の休廃業数は、調査を開始した2000年以降で過去最多を記録した。その背景には、少子化による後継者不在という問題が潜んでおり、やむにやまれず廃業を選択する中小企業経営者が増えている。
しかし、畑野氏は「廃業は、経営者や従業員、その家族にもっとも負担をかける選択であり、M&Aこそ中小企業の事業を承継する最善の手段だ」と語る。そう断言できるのは、畑野氏自身が、企業の廃業によって大きな苦労を背負ってきた経験と、多くのM&Aを手掛けてきた実績を持つからだ。
経営者の「廃業」という選択によって、従業員とその家族が背負う苦労とは、どのようなものなのか。事業の承継に悩む中小企業経営者にとって、「M&Aという選択が最善だ」という理由は何か。M&Aによって経営者や従業員が得られる幸せとは、なんなのか。そうした疑問を、畑野氏にぶつけた。
第1回となる今回は、畑野氏自身の体験から、企業の「廃業」によって従業員とその家族が背負うことになる苦労の実態や、現在の事業にかける思いの原点などについて、振り返っていただいた。
人生のターニングポイントになった山一證券廃業
――畑野氏の人生の大きな転換点となったのは、山一證券の自主廃業だった。1997年、畑野氏が14歳のときの出来事だ。当時、畑野氏の父親は山一證券で役員目前までキャリアを積んでいた。しかし、不正会計が明るみに出た山一證券は廃業を余儀なくされ、それによって畑野氏の家庭は逆境に追い込まれる。
畑野幸治氏(以下、畑野) 正直、当時は何もわかっていなかったですね。連日、「山一證券廃業」のニュースが流れていても、3歳上の兄と「お父さんの会社が潰れたみたいだね」と、事の重大さもわからず話していました。当時、父はテレビ番組にコメンテーターとして呼ばれて、山一證券の廃業について語っていました。それすらも「テレビに出ている」「なんかすごい」という感覚でした。
物心ついたときには、父はあまり家にいませんでした。平日は、私が起きたときは父はすでに家を出ていて、夜は私が寝た後に帰ってくるような生活だったのです。土日はゴルフの接待で家にいないのが当たり前。だから、あまり会話をしたという記憶はありません。
しかし、ある日、そんな父から突然「今まで通りの生活はできなくなるから自立するように」と険しい顔で言われたのです。
その頃、家には自家用車があって、週末に外食に出掛けたり長期の休みには海外旅行に連れて行ってもらったりすることもありました。中学生の私には、それがとても恵まれた生活であるということがわかっていませんでしたが、そんな生活が少しずつ変わっていきました。