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父が勤めていた山一證券が廃業…当時14歳の私が起業家になるまで

構成=編集部
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 電気代節約のために明かりを消すようになり、学校から帰ってくると家の中が暗かったり、それまで普通だった外食や旅行も一切なくなったり。時折、両親が言い争いをしている声も聞こえてきました。でも、決定的に「家族が危機に直面している」と気付いたのは、母親の一言によってです。

 私の母はお嬢様育ちで、外で働いた経験のない人でした。そんな母が、山一證券の廃業からしばらくして働き始めたんです。ところが、1年ほど過ぎた頃、無理がたたったのか身体を壊して入院してしまいました。

 私がお見舞いに行くと、母は「お金がないから退院する」と一言。その言葉で、ようやく「我が家はかなり危ない状態なのだ」と気付きました。

 父は山一證券が廃業した後、いくつもの会社からもらった好待遇の誘いを断って、起業の道を選びました。父が始めたのは、金融に特化した人材紹介事業です。しかし、父が手掛けた事業はとても難しく、不況に弱いビジネスモデルだったため、しばらくして経営難に陥ってしまい、実家はローンを残したまま銀行の抵当に入り、家に生活費を入れることも困難になりました。

 そのとき、「ひとつの企業が廃業することによって、そこで働いていた人間だけでなく、その家族にまで大きな影響を与えるのだ」と痛感しました。

 また、父は東大出身でエリート街道を歩んできた人でしたが、この出来事で「エリートになっても幸せが約束されるわけじゃないのか」と思い、「終身雇用なんて本当にあるのか?」と大企業で働くことに不信感を持つようにもなりました。それが起業を志すことにつながったのだと思います。

起業の動機は「家族を助けるため」…父は猛反対

――山一證券の廃業によって、恵まれた生活が一転した畑野氏。現実を知り、起業を志すまでの間にも、紆余曲折があったという。

畑野 それから「父や母を助けたい」と思い、私自身もアルバイトを始めました。アルバイトで家計を助けながら高校へ通い、大学に入るか入らないかの頃、「株式投資を始めよう」と思い立ちました。そこにあったのは、「父の会社を助けたい」という気持ちでした。

 当時はデイトレーダーが流行っていて、子どもの浅知恵から「デイトレーダーになればお金が手に入る」と思って興味を持ったのですが、そこでウォーレン・バフェットの本と出会ったのが、株式投資を始めたきっかけです。

 それから、父に株について教えてもらうようになりました。父は、やはり株に関してはプロなので、何を聞いても答えられる。だから、1日に何度も教えを請うようになりました。

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