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Gショックや電卓を生んだカシオの没落…社長に27年間君臨のワンマン経営の弊害

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「G-SHOCK」(「Wikipedia」より)

 カシオ計算機の創業者のひとりで会長の樫尾和雄氏が6月18日午後11時35分、誤嚥性肺炎のため死去した。89歳だった。通夜・葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻の壮晃(そうこう)さん。

 和雄氏は樫尾四兄弟(忠雄氏、俊雄氏、和雄氏、幸雄氏)の三男。日本大学高等師範部卒業後、1950年、長兄の故忠雄氏が経営していた工作機械工場、樫尾製作所に入社。忠雄氏が経営、次兄の故俊雄氏や弟の幸雄氏(現特別顧問)が商品開発にあたり、和雄氏が営業で力を発揮した。

 天才と称された俊雄氏が、世界初の小型電気式計算機を開発。57年にカシオ計算機を設立した。

 70年前後、電機大手が“電卓戦争”にこぞって参戦。そんななかで和雄氏は、営業本部長として電卓戦争を闘った。8桁以上の表示が常識だったが、自ら開発に注文を出して6桁に変更させ、そして72年、価格を3分の1に抑えたパーソナル電卓「カシオミニ」を発売。大ヒットをテコにカシオを大手精密機器メーカーの一角に押し上げた。

 88年、和雄氏は忠雄氏の後を継いで社長に就任。専務営業本部長時代の83年に発売したものの販売が伸び悩んでいた、耐衝撃性に優れた腕時計「G-SHOCK」をテコ入れし、世界出荷1億台を超える看板商品に育てた。

 95年には世界初の液晶モニター付きデジタルカメラを売り出した。

 カシオ計算機は2008年3月期に売上高6230億円を上げていたが、携帯電話事業の失敗で業績はジリ貧状態に陥り、一時は年商が3000億円を割り込んだ。

 競争が激しい携帯電話から撤退し、近年はデジタルカメラ、デジタル腕時計、電子辞書など事業を多角化してきた。

 15年に27年間務めあげた社長の座を長男の和宏氏に譲ったが、会長兼最高経営者(CEO)として引き続き君臨した。和宏社長には、新3カ年計画の最終年度となる18年3月期の売上高を15年同期と比較して1.5倍の5000億円、営業利益は2倍の750億円に引き上げるよう求めた。

 和雄氏は「新社長と二人三脚で全力を尽くす。1年間でメドをつけ、新社長体制に完全移行させ、その後は社長に任せる。代表権の返上については、1年後の様子を見て、それから考えたい」と述べていた。

 しかし、18年3月期の売上高は前期比2.0%減の3147億円、営業利益は同3.5%減の295億円で、目標にはほど遠い成績に終わった。

 今年5月、コンパクトデジタルカメラ事業からの撤退を表明。その直後に和雄氏は89歳の生涯を閉じた。

 27年間社長だった長期政権の是非。成長できないカシオに対する「ワンマン経営の弊害」の指摘があるのは事実だ。

 強力な後ろ盾を失った和宏社長は、新しいカシオの経営ビジョンを早急に示さなければならない。それができないと、カシオは激動の時代に突入したエレクトロニクス業界の再編の渦に飲み込まれるおそれがある。そうなれば樫尾一族の経営に終止符が打たれることになる。
(文=編集部)

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