
現在、直近10年間の年純利益平均が、1000億円を超える上場企業は、日本に30社ある。このいわば「1000億円クラブ」に、総合商社は3年連続で5社(三菱商事、三井物産、伊藤忠、住友商事、丸紅)を送り込んでいる。いまや日本でもっとも高収益の業界ともいえる総合商社も、バブルが崩壊した1990年代後半は、業界が消滅しても不思議ではないほど経営が悪化していた。
まず、総合商社5社について、1986年から5年ごとに1社当たりの年平均連結純利益(税後利益)をみてみよう。
1986年~1990年:281億円
1991年~1995年:217億円
1996年~2000年:▲3億円
2001年~2005年:496億円
2006年~2010年:2223億円
2011年~2015年:2673億円
※会計基準の変更(米国基準・IFRS)があっても同じ「当期利益」をピックアップした。
『ふしぎな総合商社』(小林敬幸/講談社+α新書)
この2000年代の商社の急成長が実現したのは、「稼ぎ方」そのものを大きく変えていったからである。従来の売買仲介型ビジネスから事業投資型ビジネスに全商品分野で変えていった。
とりわけ興味深いのは、このビジネスモデルの変更が明確な戦略やビジョンの提示なしに、しかも相互に示し合わせてもいないのに、業界5社がそろって全商品分野において行われたことである。まるで、メダカの群れの方向転換のようである。
とはいえ、その変革を支えたものがいくつか見てとれる。まず、変革のエンジンであり原動力になったのは、現場末端の社員一人ひとりの強烈な危機意識だった。
一方で、変革の方向性については、成功に導く「芽」や「ヒント」になるものを、商社は苦しいときにも常に保存してきたことである。