「カジノによってパチンコ業界が潰れる? よく聞くけど、それはないよ」
こう言い放つのは、東京都内のパチンコ店チェーンでマネージャーを務めるA氏である。
「今のパチンコって、頭を使わなくなっているじゃないですか。もっといえば、メーカーが『頭を使わなくさせている』んですよ。たとえば、いまだにリーチがかかると台をドンドン叩く人がいますよね。おばさんに多いのですが、『叩いたらスーパーリーチに発展する』と思い込んでいるわけです。それがパチンコのメインの客層であり、メーカーのターゲットなんですよ」(A氏)
昔のパチンコ店には“プロ”と称される常連客が必ずいた。彼らは、いわゆる“羽根モノ”や“一発台”と呼ばれる台の釘を読み、「開いた」「閉じた」をチェックして日銭を稼いでいた。しかし、今のパチンコ店には釘を見る客など、ほぼいない。毎回、機械が抽選で当たり外れを決めているという当たり前のことすらわからない客が「叩けば当たるかもしれない」と必死にドンドン叩いているわけだ。
「店にとってはありがたいですよ。昔は一癖も二癖もある客ばかりでしたが、今はそんな人いなくなりましたしね。“一発台”があった頃なんて、たとえば『スーパーコンビ』では叩けば玉がコロリと入賞、すぐ1万円コースでした。入賞後の玉の動きがゆるやかだったからですが、今の“羽根モノ”は叩くスキさえないほど、入賞後も玉の動きが速い。仮に入賞しても、2~3段階の振り分けシステムを導入しています。これでは、確率論からいっても勝つのは難しい。そのため、プロが自然消滅したんですよ」(同)
極論をいえば、現代のパチンコで食べていくためには“爆発時期”を的確に読むしかない。同時に、相当な資金力も必要となるわけだ。しかし、そんな事情など頭になく、当たりもしないリーチに興奮しながら台を叩き、5枚や10枚の“諭吉”を投入(4円パチンコの場合)しているのが、今のパチンコ店の客層である。さらにいえば、1円パチンコは年金暮らしの高齢者の時間つぶしにもなっている。
パチンコとカジノの「大きな違い」
一方で、カジノは「頭を使う」ギャンブルである。
「たとえば、カードゲームには相手の雰囲気や空気、表情、賭け方から持ち札を予測する“察知力”が必要です。このあたりは、同じく人間を相手にする麻雀にも共通しています。しかし、機械が相手のパチンコに、そんな能力は必要ない。悪くいえば、ハンドルを握ってボーッとしていればいいわけですから」(同)
ギャンブルに詳しい医師も、興味深いことを教えてくれた。
「認知症防止という観点で考えれば、競馬は着順を予測する推理力、麻雀には切る牌を考える直感や感性、そして指先を使うという効能があります。カジノでも、相手のカードを読み取る能力が必要で、すでに出たカードを覚えておくカウンティングという戦術もありますよね。一方で、パチンコは機械の演出をながめているだけで、多少の興奮はするでしょうが、ボーッとテレビを見ているのと変わりません」
「頭を使うか、使わないか」という違いからも、カジノとパチンコの客層が違うことが見えてくる。
入場料6000円のカジノ、無料のパチンコ
カジノの入場料は6000円となる見込みだ(日本人および日本に住む外国人の場合)。入場料を見ると、パチンコ店は無料、競馬場は100~200円、雀荘は(店のシステムにもよるが)半荘あたり300~600円となっており、カジノの6000円は文字通りケタが違う。
要は「6000円を払ってでも入りたい」と思う人だけがカジノに行くわけだが、仮にパチンコ店が6000円の入場料を徴収すれば、すぐに閑古鳥が鳴くのは目に見えている。前述した頭の使い方の違いはもちろん、「負ける金額の大きさ=金銭感覚や懐の余裕」もパチンコとカジノでは大きく違うはずで、両者は必然的に棲み分けされるものと思われる。
加えていえば、競馬も同様だ。「馬主クラス」はカジノに通うかもしれないが、小遣いで遊ぶ一般ファンは、おそらく資金が続かないだろう。「少額で遊べるカジノ」が誕生するのであれば、その限りではないが、現状のパチンコ・パチスロユーザーたちがそのままシフトするかたちでカジノにハマることは考えにくいのではないだろうか。
(文=山下辰雄/パチンコライター)