「東京五輪の経済効果32兆円」のお粗末な実態…大半が空論同然、五輪後の不況が濃厚
内閣府が2015年6月に実施した「東京オリンピック・パラリンピックに関する世論調査」によると、五輪開催で期待される効果(全18項目に対する複数回答)のトップは「障害者への理解向上」(44.4%)。第2グループが「障害者を含むスポーツの振興」(39.2%)、「交通インフラの利便性向上」(38.5%)、「すべての人に優しい街づくりの促進」(38.4%)、「観光客の増加」(37.7%)。以後、「選手の競技力の向上」(34.9%)、「日本人の国際化・マナー向上」(34.3%)、「地域活性化」(32.6%)、「経済波及効果や雇用の創出」(32.0%)と続く。
何事につけ経済第一主義が幅を利かす昨今の風潮に照らすと、上位にあがってきそうな経済効果への期待は18項目中9番目。誤差を考慮しても、第2グループに届かない位置にある。五輪という「特別な祭典」を前に、国民が目先の利益を超えた高邁な期待を示した結果といえようか。
だが、実態はというと、「障害者への理解向上」はほとんど進んでいない。内閣府の「障害者に関する世論調査」(2017年8月実施)では、「障害者に対する差別や偏見がある」と思う人が84%。2016年4月に施行された障害者差別解消法を知らない人が77%。その当然の結果として、障害者の側からは差別や偏見が改善されていないという声が、今なお圧倒的な多数を占める。オリ・パラの開催がこの事態を一気に好転させるとは、とても考えられない。
最後はやっぱりカネ目でしょう
国民が五輪に期待する効果の2位以下も、むなしさが募るばかりだ。
「障害者を含むスポーツの振興」という美名の裏に障害者がスポーツ施設から締め出される例は、枚挙にいとまがない。「すべての人に優しい街づくり」といいながら、受動喫煙対策は骨抜きにされ、LGBT(性的少数者)へのゆがんだ目も改まりそうにない。「選手の競技力の向上」に至っては、アスリートファーストとはかけ離れた内幕が次々と明らかにされる始末だ。
交通インフラの利便性向上や観光客の増加、あるいは日本人の国際化うんぬんの裏の実態は、本連載で触れてきた通り。地域活性化は戦略次第で広がりが期待できるものの、事前合宿の誘致とありきたりのインバウンド誘客くらいしか聞こえてこないようでは、「効果も限定的」とあきらめ顔になるしかない。
かくして、五輪への期待は、「最後はやっぱりカネ目でしょう」とばかりに、経済波及効果にすがりつくしかなくなってしまう。
五輪の経済波及効果はドラえもんのポケットか?
2017年3月、東京都は五輪の経済波及効果を約32兆円と試算した。その1カ月前には、みずほ総合研究所が約30兆円という試算を発表している。ほぼ同額だからといって、「客観的に分析すると誰が計算しても結果は大きく変わらない」などと思ってはいけない。
都の試算は、招致が決まった2013~30年(大会10年後)までの18年間。一方、みずほ総研は2014~20年の7年間。期間はまったく異なる。なぜ、こうも大きな差が生じるのだろうか。
経済波及効果は、直接的な効果と付随して発生する効果の2つで構成される。このうち、前者はある程度正確に把握できる。一方、都の試算では、「レガシー効果」と呼ばれている後者は取り上げる項目やデータの解釈によって結果が大きく変わってくる。予測が正しかったかどうかの検証もきわめて難しい。いわば、言いたい放題の言いっぱなし。言葉は悪いが“鉛筆ひと舐め”だ。
それがおまけのプラスαならまだいいが、都の試算では総額32兆円のうち27兆円、みずほ総研の試算では同30兆円のうち28兆円。「おまけ」のほうが、はるかに大きい。
図表1に、都の試算におけるレガシー効果の内訳を示した。五輪と銘打てばなんでも出てくるドラえもんのポケットのようだ。
「水素社会がレガシー」の違和感
たとえば、本当の勝負はこれからのインバウンド観光は、「五輪を機にいかなる取り組みを展開し、その結果どれだけ需要を上乗せできるか」という戦略的ストーリーがあって初めてレガシー分を算定することができる。ロボット産業の拡大も、五輪を契機として私たちの生活の中にロボット共生社会が急速に普及・定着していくのならレガシーに勘定できるが、単に一部導入するというレベルでは、技術革新のトレンドに乗ったショーでしかない。
バリアフリーの促進をレガシーとすることについては、さらに評価が辛くなる。オリ・パラの開催がないと東京のバリアフリーは進まないということなのか。だとしたら、本末転倒も甚だしい。
一番強い違和感を覚えるのが、水素社会の実現だ。なるほど東京五輪では、移動手段としての燃料電池自動車の活用や、選手村での燃料電池コージェネレーションの導入を図るという。しかし、2030年に向けて水素社会が定着するには、水素ステーションの問題を筆頭にまだまだ多くの課題が横たわっている。これらの課題に対する大胆な提案なしに、「先行的に導入するからレガシーだ」というのではあまりにも安易すぎる。
五輪後の経済低迷は必然
額の多寡はともかくとして、五輪は経済的な発展効果をもたらすことができるのだろうか。
前回の東京五輪の翌年、我が国は「昭和40年不況」に見舞われた。大手証券会社が軒並み赤字に転落し、山一證券では取り付け騒動まで発生したことから、「証券不況」とも呼ばれる。
五輪開催後に景気が低迷したのは、1964年の東京大会だけではない。図表2に示したように、1988年のソウルから2012年のロンドンまでの7大会のうち、IT景気の波に乗っていた1996年のアトランタ大会と2012年のロンドン大会を除く5大会で五輪開催後に景気の低迷が訪れている。
この事実はすでに多くの識者が指摘しており、読者もご存じのことだろう。つけ加えると、これはジンクスでもなんでもない。大きなイベントが終わると、どうしても「宴の後」よろしき中だるみが生まれてくる。ましてや五輪だ。無理をしてでも投資の前倒しが行われ、その結果として「燃え尽き症候群」とでも呼び得る「五輪ロス」が生じるのは不思議なことではない。
成長神話が崩れ去る「終わりの始まり」
問題は、それが一時的な現象なのか、構造的な変化なのかにある。一時的なものなら、しばらく我慢していればいい。だが、どうもそうではなさそうだ。
図表3に、プレ五輪5年間とポスト五輪5年間の経済成長率の平均値を整理してみた。1964年の東京大会は、翌年の経済低迷に対して戦後初の赤字国債を発行するという政治的決断を行うことよって、いざなぎ景気へのV字回復を果たすことができた。しかし、そこには、新たな刺激を与えると再び経済が好転に向かうという、時代の背景が存在していたことを忘れてはならない。
ソウル以降の各大会では、アトランタとロンドンを除き、ポスト五輪の経済成長率がプレ五輪を下回っている。五輪の開催には膨大な費用を要する。このため、経済発展のバックボーンがないと五輪招致に手を挙げることができない。しかし、あまりにも大きすぎる負担は、かつて機能していた成長のバランスを崩してしまいかねない。こうして、五輪後の経済低迷は成長神話が崩れ去る「終わりの始まり」へとつながっていくことになる。
アトランタとともにポスト五輪のほうが高い成長率を示すロンドン大会は、リーマン・ショックに端を発する世界金融危機と、その傷が十分癒えぬままに噴き出した欧州債務危機という最悪の状況下で開催された。従って、その影響を割り引いて考える必要があるが、それでも図表3に参考として記した英独仏の比較において、プレ五輪では成長率がもっとも低かったイギリスが、ポスト五輪ではもっとも高くなっている。社会の大きな舵の切り直しに五輪をしたたかに利用した成果が、ここに表われているといっていいだろう。
このまま進めば、ポスト2020は明より暗のほうが優勢のようだ。では、どうすればいいのか。迂遠なようでも、「なぜ五輪を開催するのか」の原点に立ち返り、改めて国民的コンセンサスを得るための議論を高めるしかない。すべてはそこから始まり、すべてがそこからねじれ出したのだから。
(文=池田利道/東京23区研究所所長)
『なぜか惹かれる足立区~東京23区「最下位」からの下剋上~』 治安が悪い、学力が低い、ヤンキーが多い……など、何かとマイナスイメージを持たれやすい足立区。しかし近年は家賃のお手傾感や物価の安さが注目を浴び、「穴場」としてテレビ番組に取り上げられることが多く、再開発の進む北千住は「住みたい街ランキング」の上位に浮上。一体足立に何が起きているのか? 人々は足立のどこに惹かれているのか? 23区研究のパイオニアで、ベストセラーとなった『23区格差』の著者があらゆるデータを用いて徹底分析してみたら、足立に東京の未来を読み解くヒントが隠されていた!