『強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話』(徳間書店)をご存じだろうか? 家庭教育に心血を注いだ、ある強烈なオヤジのストーリーだが、今回インタビューしたお相手は、その3兄弟の長男、宝槻泰伸氏。彼が経営する探究学舎(東京都三鷹市)では、子どもの知的好奇心に火をつけることで、「もっと勉強したい」という子どもたちが続出だとか。前回に引き続き、「うちの子、勉強嫌いで、やる気がなくて困る」と嘆く多くの親御さんに代わって、なんでそんなことが起きるのかを取材した内容をお伝えする。
【前回記事はこちら】
『なぜ探究学舎では、勉強嫌いの子どもが「勉強が楽しくて仕方ない!」に変わるのか?』
興味開発で、未来の「さかなクン」を育てる
――教育改革のキーワードとしても「探究」が注目されています。宝槻さんが考える「探究」とは?
宝槻 「能力開発」と「興味開発」という言葉があります。ほとんどの学校教育で行われているのは、「能力開発」です。しかも、そこで行われる勉強は、自分がやりたいことや、やりきった先にどんな未来が花開くかとは無関係に、「社会一般で必要な諸能力が開発されるから」、あるいは「受け取っておかないと大変なことになるからやっておけ」と言われて、押し付けられるものです。つまり、世間体という物差しで測られる、より良いポジションにつくために必要な、勉強という名の「適合」の訓練です。
また、社会で生きていくために必要な能力の中心点も時代によってずれるので、子どもに身につけさせたい能力も、読み書きそろばん、情報処理能力、情報編集能力、英語4技能、課題発見・問題解決能力とその時々で変わっていきます。
今の教育改革では、「これからの時代を生き抜くスキルは、これまでの教科学習では磨けないので、それを磨くために探究学習が必要」という文脈で語られていますが、国家が発展するために必要な能力を開発する手段に探究がくっついてきているところに違和感があります。
また、今トレンドとして探究と言っている人のほとんどが、「受験という関所を通るために探究が必要だ」というスタンスです。受験という関所を通さなくてはいけないという価値観の人にとっては、探究は手段になってしまいます。実際多くの親たちも、探究を教育改革で変わる受験対策の手段と受け取っています。国家が主語になると、そうならざるを得ないのでしょう。