NEW

伝説のキャバレー「ハリウッド」、60年の歴史に幕閉じる…その栄華と高度経済成長遂げる昭和

【この記事のキーワード】

, , ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「ハリウッド」の店舗(「Wikipedia」より)

 昭和の薫りを残すキャバレーハリウッド」は2018年12月30日、東京都内の北千住店と赤羽店を閉店した。最盛期に全国に44店あり、サラリーマンらが生バンドに合わせてダンスに興じたが、平成最後の年の瀬に2店舗の灯りが消え、約60年の歴史に幕を閉じた。

 営業最終週は常連客で大盛況だった。日本唯一となった生バンドの演奏とともに美女2人が繰り広げるなまめかしいバーレスクダンスショーを楽しみながら、最後の夜を惜しんだと、スポーツ各紙をはじめとするメディアが報じた。

 キャバレーの歴史を振り返ってみよう。

 第2次世界大戦後、進駐軍向けのキャバレーが生まれた。日本においては、1960年代から70年代に大流行した。

 キャバレーとは、ホステスが客をもてなす飲食店のこと。料金は時間制で、ショーを行うステージや生バンド付きのダンスホールでもあった。演歌歌手は一発ヒット曲を出せば、全国のキャバレー回りをすれば食っていけるといわれた時代だ。

 73年のオイルショックでネオンサインの自粛や経費節減のムードが広がり、客足が遠のき、次々と廃業していった。76年頃からディスコが台頭。キャバレーの存続自体が難しくなった。80年代半ばからはキャバクラなどの新たな業態に押され、キャバレーは衰退を早めた。

 2000年代以降、生バンド付きのキャバレーは絶滅危惧種となり、「ハリウッド」北千住店や赤羽店がこれまで存続したのは奇跡といわれた。
 

「キャバレー王」と謳われた福富太郎

 日本におけるキャバレーの歴史は、「キャバレー王」と謳われた福富太郎氏(本名・中村勇志智)と共にあった。福富氏は1931年10月、東京で生まれた。中学2年生で敗戦を迎えた“焼け跡世代”だ。学校を中退後、16歳で銀座のキャバレー「メリーゴールド」のボーイとなる。これがキャバレー人生の始まりで、その後さまざまなキャバレーを渡り歩いた。

 57年に26歳で独立。神田に「21人の大部屋女優の店」という名前のキャバレーを開店した。次々とキャバレーを手がけ、64年に銀座8丁目の帝国博品館勧工場の跡地に大型キャバレー「銀座ハリウッド」を開店し、「キャバレー太郎」の異名を取った。

 全盛期は直営店29店、チェーン店15店を誇ったハリウッドグループを率い、長者番付1位にまで上り詰めた。福富氏は2018年5月に86歳で死去し、昭和の社交場だった「ハリウッド」は平成とともに終焉の刻(とき)を迎えた。

伝説のキャバレー「ハリウッド」、60年の歴史に幕閉じる…その栄華と高度経済成長遂げる昭和のページです。ビジネスジャーナルは、企業・業界、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!

関連記事