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“昭和最後”にして“平成最初”の1989年1月を考察する【第2回】

“昭和最後の7日間”に生まれた内村航平、“平成最初の24日間”に生まれた多部未華子

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今では没交渉の前田日明と高田延彦が戦っていた

当時、プロレス界は多団体時代を迎える前夜で、新日本プロレス、全日本プロレス、全日本女子プロレス、ジャパン女子プロレス、そして第2次UWFの5団体時代。新日本の東京ドーム初進出は平成元年4月のことなので、1月4日の東京ドームでは、前述のように氷室京介のライブが行われていた。そして特筆すべきなのが、UWFの大ブームである。

 前年5月に旗揚げされた同団体は、3カウントフォールなし、ロープワークなし、場外乱闘なしの格闘技スタイルを打ち出し、興行数、試合数を大幅に減らし(月に1興行で全5試合程度)観客の飢餓感を煽ることで人気が爆発。音楽業界のノウハウを取り入れたブランディング、イベントのショーアップなども斬新であり、旧来のプロレスとは差異化を図っていた。

 勢いに乗るUWFは、1月10日に初の武道館進出が予定されていた。大相撲、爆風スランプの前例があっただけに、この興行も予定通り開催され、2階席までビッシリ埋まった。そのメインイベントでは、ブームの象徴ともいえた前田日明と、2番手で女性ファンも多かった高田伸彦(現・延彦)が対決している(前田が勝利)。

 両者はもともと兄弟のような蜜月関係を築いていたが、その後いろいろあって袂を分かち、事実上絶縁状態となった。

 現在、前田は時々バラエティ番組に“デカくて怖い人”として出演。この2月にはセコンドとして、久々にプロレス興行に参戦を果たしている。

 高田はタレント活動もしながら、格闘技興行「RIZIN」のスポークスマン的な立場にいる。昨年の大晦日に、フロイド・メイウェザーvs那須川天心のエキシビションマッチが行われた興行の試合中継で、解説者としてろれつが回っていなかったことから、「酩酊状態だったのでは?」と疑われたが、本人は否定した。なお、その後、RIZINでの肩書きは“統括本部長”から、“ご意見番”に変更になった。
(文=ミゾロギ・ダイスケ)

『証言UWF 完全崩壊の真実』(2018年、宝島社)

●ミゾロギ・ダイスケ
ライター・編集者・昭和文化研究家/映画・アイドルなど芸能全般、スポーツ、時事ネタ、事件などを守備範囲とする。今日の事象から、過去の関連した事象を遡り分析することが多い。著書に『未解決事件の昭和史』(双葉社)など。

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