“比類なき街”上野・アメ横、70年間客が殺到し続ける秘密…年末の客減で迎えた岐路
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数ある経済ジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
あと2カ月で「平成時代」が終わる。メディアでは、さまざまな切り口で「平成時代を振り返る」企画が紹介されてきた。3月や4月に入っても続くだろう。
だが、今回取り上げたいのは、昭和を象徴した街「上野アメ横」(商店街)だ。後述する課題があるとはいえ、平成年間もずっと人出が絶えなかった。
それはなぜか。実は、時代を超えて「選ばれる場所」だったからだ。今回は紹介される機会が少ない街の横顔を伝えつつ、消費者心理の視点で考えたい。ちなみに、筆者は学生時代にアメ横でアルバイト経験があり、その後も定点観測を続けてきた。
「食品」「衣料」「化粧品」が豊富に揃う
「アメ横」という言葉は、(1)甘いものを売った「アメ屋横丁」と、(2)舶来品を売った「亜米利加(アメリカ)横丁」に由来するといわれる。
この2説を象徴する店が、前者は「二木の菓子」(アメ横に正式な店を構えたのは1949年)、後者は「中田商店」(同1956年)だ。二木の菓子は“お菓子の総合デパート”といわれる豊富な品揃えで知られる。中田商店はジーパンやMA-1ジャケットなど、“ミリタリー販売の老舗”として名高い。
実は、名前の由来だけではない。昭和時代も平成時代も、アメ横人気を支えた2大商材は「食品」と「衣料」だった。
商店街めぐりには、JR上野駅側から入っても、御徒町駅側から入ってもよいが、線路と並行するように生鮮品や乾物、菓子、衣料、スポーツ用品、ゴルフ用品などの店が立ち並ぶ。近年は、簡易食堂のような飲食店も増えた。
一方、駅の高架下建物内には、化粧品店や雑貨店も多い。外国の化粧品をいち早く揃えた一帯で、当時の目利きの女性から「海外ブランドの化粧品を安く手に入れるならアメ横」と支持されてきた。インターネットはもちろん、並行輸入も難しかった時代だ。
つまり、“宝探し感覚”で商品を探せるのだ。それは人気小売店の「ドン・キホーテ」にも通じる。商品を探す楽しみは消費者心理の本質だ。こうした飽きさせない店舗構成が、後述する昭和の終戦後から、70年以上も人気を保った理由のひとつだろう。