“比類なき街”上野・アメ横、70年間客が殺到し続ける秘密…年末の客減で迎えた岐路
戦後の「ヤミ市」が残る場所
平成時代の30年で、東京の街は大きく変わった。新しい商業施設やビルが次々に建ち、古い町並みは再開発などで取り壊された。
だが、アメ横はほとんど変わらない。実は「ヤミ市の面影を残す」都内最大の場所だ。
「ヤミ市」とは、一般には昭和の終戦直後に出現した「非合法の物品販売場所(ヤミの市場)」として知られる。まだ物資統制が続き、食品や生活必需品が手に入らないなか、こうした市場が都市部の庶民の焼け跡生活を支えたのだ。
ちなみに、昭和21年に大蔵省(現財務省)が発表した「国民の生活費」では、その70%が「飲食費」だったという(出所『昭和・平成家庭史年表』/下川耿史編/河出書房新社刊)。支出の大半を「食べるために使わざるを得なかった」時代だ。
そのヤミ市の雰囲気を残す場所は、現在、都内では「新宿ゴールデン街」などがあるが、約400もの店が軒を連ねるのは「アメ横」だけだ。
スタイリッシュでも現代的でもないが、「生活の息吹がある場所」や「日本人の生活ぶりがわかる場所」として、外国人観光客も多く訪れる。
「キャッシュレス」は似合わない
「二木の菓子」の店頭の様子
「最近はよく、『キャッシュレス対応はどうしていますか?』という取材を受けます。でも、アメ横はもっともキャッシュレスが似合わない街なのです」
アメ横商店街連合会名誉会長の二木忠男氏はこう話し、次のように説明する。
「現金のやりとりで、お客さんと店が交流してきた場所だからです。たとえば、小銭のお釣りが発生しても、店によっては『この商品をおまけするから残り分で買います?』と言い、お客さんが納得すれば買っていただく。そんな伝統が根づいているのです」(同)
一方で、たとえば外国人観光客のなかには「母国ではキャッシュレスが当たり前。ほとんど現金は持ち歩かない」という人もいる。
「世の中の趨勢に合わせる」のか、「郷に入れば郷に従え」で今後もやっていけるのか。商店街側も状況を見守っている段階のようだ。
どの業界や企業にも横たわる「中期的な課題」をアメ横も抱えながら、今日も威勢のよい声が店のあちこちから響く。世界各国の大都市も、商業ビルのクールな空間があれば、庶民の暮らしが息づく市場もある。
平成の次の時代も、アメ横は元気でいられるのか。引き続き注視して、折にふれて報じていきたい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)