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銀行に翻弄された大手証券会社の平成史【後編】

日興證券が裏切り、三菱が怒った…三井住友は大和証券を切り捨て、日興証券と提携した

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かつては三菱銀行との関係が深かったものの、現在は三井住友FG傘下にある、SMBC日興証券

【前編】「大和証券、日本郵政と提携発表!山一破綻が加速させた、証券会社と銀行の合従連衡の結末」はこちら

三菱を怒らせた日興證券の外資提携

 1998年5月、日興證券が米トラベラーズ・グループ(のちに米シティグループに合併。以下、米シティグループ)と資本提携に踏み込んだ。

 日興證券は、リテール分野(日興コーディアル証券)とホールセール分野(日興シティグループ証券)をそれぞれ子会社として分離し、日興證券本体は米シティグループから12パーセントの出資を受け容れて日興コーディアルグループと改称、持株会社になった。さらに、日興シティグループ証券には米シティグループから49パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。つまり、米シティグループからの出資を受け入れ、その傘下に入ったと宣言すると共に、ホールセール部門では共闘する体制を整えたわけだ。

 この業務提携発表を聞いて、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)の首脳が激怒する。

 日興證券はもともと三菱グループ、特に東京三菱銀行と親しい関係にあった。そのせいもあって、東京三菱銀行としては、証券会社と手を結ぶなら日興證券だと考え、日興證券もその気を見せていたらしい。ところが、諸説あって真相は藪の中なのだが、どうやら多少の行き違いがあったらしく、日興證券は米シティグループとの業務提携になびいてしまった。

 これに対し東京三菱銀行は、日興證券の業務提携発表から10日も経たないうちに、事実上傘下におさめていた菱光証券と大七証券を合併させて東京三菱パーソナル証券を設立し、これに証券子会社の東京三菱証券(旧・三菱ダイヤモンド証券)も合同させると発表。独自に三菱グループの証券会社を育成する意思を表明した。さらに当時、もっとも優良な中堅証券と名高かった国際証券を買収し、2002年には傘下の証券会社(東京三菱証券、東京三菱パーソナル証券、一成証券)を合併させ、三菱証券を設立する。

 日興證券の顧客には三菱グループ企業が名を連ねていたから、米シティグループもそれをアテにしていたのに、提携して早々に離反にあってしまったのだから、困惑することこの上ない。一方、三菱証券はその後モルガン・スタンレー証券を吸収合併し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券となって、今では「五大証券」の一角と呼ばれるほどの地位を占めるまで育っていったのだから目も当てられない。

大和証券と住友銀行の主導権争い

 翌1999年12月には、大和証券が住友銀行(現・三井住友銀行)と提携を発表する。

 大和証券はリテール分野(大和証券)とホールセール分野(大和証券SBキャピタル・マーケッツ[略称・大和証券SBCM、のちに大和証券SMBCに改称。SMBCは三井住友銀行の略称])をそれぞれ子会社として分離し、自らは大和証券グループ本社と改称して持株会社になった。さらに、大和証券SMBCに住友銀行から40パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。

 つまり、日興證券と米シティグループの業務提携とほぼ同様の形で、大和証券と住友銀行が業務提携を結んだことになった。相違点といえば、大和証券と住友銀行の業務提携では持株会社本体への出資がなかったことだ。

 もともと住友銀行は証券部門への進出に積極的な都市銀行として知られ、この業務提携を機に大和証券SMBCに行員を出向させ、証券戦略を積極化していった。

 一方、大和証券は住友銀行に主導権を渡さないように抵抗し続けたようだ。このことが住友銀行からの不満を招き、さらなる証券業界再編への伏線となった。

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