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「みずほ不動産ホールディングス」は誕生するのか?

文=編集部
ヒューリック銀座7丁目ビル(「Wikipedia」より)
ヒューリック銀座7丁目ビル(「Wikipedia」より)

 オフィスビル大手のヒューリックが、「浅草ビューホテル」などを運営する日本ビューホテルを株式交換によって完全子会社にする。ヒューリックは日本ビューホテルの発行済み株式の25.98%を保有する筆頭株主で、持ち分法適用会社にしてきた。

 7月25日に開く日本ビューホテルの株主総会で承認を得て、9月1日に株式交換を実施する。日本ビューホテル1株に対し、ヒューリック株式1.57株を割り当てる。日本ビューホテルは8月29日付で上場廃止となる。

 日本ビューホテルは1950年、栃木県県那須市で開業した旅館「石雲荘」に始まる。那須ビューホテル開業を皮切りホテルに進出し、66年に現在の商号へと変更した。だが、ゴルフ場の開発に失敗し、2001年に負債総額800億円で東京地裁へ民事再生手続きを申請。05年8月に再生手続きを終結した。

 14年7月に東証2部へ新規上場、15年7月に東証1部へ指定替えとなる。15年11月、ヒューリックが、みずほキャピタルとみずほ銀行(旧みずほコーポレート銀行)が出資するエムシーピースリー投資事業有限責任組合から日本ビューホテル株式を56億円で買い取り、筆頭株主となった。

 日本ビューホテルは「浅草ビューホテル」「伊良湖ビューホテル」など直営12、提携8の20棟のホテルを運営。19年4月期の売上高は前期比1%増の215億円、最終損益は15億円の赤字に転落した。発祥の地、那須町で観光牧場や遊園地を持つ「那須りんどう湖レイクビュー」を経営する那須興業の固定資産を減損、特別損失として計上したことによる。

ヒューリックは高級旅館に進出

 ヒューリックは1957年、富士銀行(現みずほ銀行)の店舗ビルを管理する日本橋興業として設立。07年にヒューリック(初代)に社名を変更。12年に、同じ芙蓉グループの旧昭栄と合併。新会社名をヒューリック(2代目)とした。みずほフィナンシャルグループの中核不動産会社だ。

 都心のオフィスビル事業をコアビジネスとしているが、将来のオフィス需要の減少、高齢者人口や訪日観光客の増加を見据え、観光ビジネスに進出した。

BusinessJournal編集部

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