2020年東京五輪・パラリンピックの開幕まで1年を切った。東京都内では五輪施設の建設が急ピッチで進んでいる。
東京都が新規に整備する競技会場6施設のうち、夢の島公園アーチェリー場など4つがほぼ完成した。日本スポーツ振興センター(JSC)が運営主体となる新国立競技場(オリンピックスタジアム)も、デザイン変更によって工事が大幅にずれ込んだものの、今年11月の完成が目前だ。7月24日に開いた「1年前セレモニー」では、登壇した安倍晋三首相が「準備状況については、IOC(国際オリンピック委員会)からも高い評価をいただいている」と満足そうに語った。
ところが、これらの新施設は大会後、大半が赤字となりそうだ。東京都が新設する6施設のうち、大会後に採算が合うのは1施設のみで、残り5施設は年間計約11億円の赤字が発生する見通し。1500億円超を投じて建設される新国立競技場も、完成後は維持費だけでも毎年20億円以上がかかるといわれ、採算がとれる見通しはまったく立っていない。
政府や東京都は、五輪新施設を大会後の街づくりに役立てると喧伝してきた。しかし赤字とは、かけた費用に見合うだけの来場者数が訪れないことを意味する。これでは街のにぎわいや発展は期待できない。これまで何度となく繰り返されてきた、官主導の街づくりの失敗例がまたひとつ増えるのは、残念ながら確実のようだ。
「威信財」
そうした失敗例のうち、日本で最も古く、大規模なものをご存じだろうか。平安京(現在の京都)である。
781(天応元)年に即位した桓武天皇は、奈良の平城京から長岡京を経て、794(延暦13)年、平安京に遷都する。奈良時代に僧の道鏡が皇位をうかがうなど政治に対する仏教の影響力が強まり、それを断ち切るなどの狙いがあった。それ以降、平安京が国政の中心であり続けた約400年間を平安時代と呼ぶ。
平安京は中国の都をモデルとし、東西約4.5キロメートル、南北約5.2キロメートルの規模。条坊と呼ばれる碁盤の目のような区画は、今の京都の町並みや道路に痕跡をとどめる。
ところがこの都の設計は、利用者の利便性をまったく無視したものだった。たとえば、道の広さである。平安京の街路には「大路」と「小路」の2種類がある。道幅は大路が30メートル、小路が12メートルあった。現代の都市部で幹線道路は1車線につき幅3.25メートルだから、小路といってもその4車線分に等しい幅があり、名前から想像されるよりはずいぶん広い。大路に至っては、計9車線の幹線道路と同じ幅だ。これだけの幅をもつ道路は、想像することさえ難しい。