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JRを生んだ中曽根元首相の功と罪…職員28万人の国鉄解体、JR7社の明暗鮮明

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中曽根康弘氏(写真:AP/アフロ)

 11月29日に101歳で大往生をとげた中曽根康弘氏の首相時代(1982~87年)のハイライトは、「増税なき財政再建」を掲げて土光敏夫臨調会長と二人三脚で行政改革に取り組んだことである。その成果が国鉄、電電公社、専売公社の3公社の民営化であり、今日のJR、NTT、JTとなった。

 なかでも最大の力仕事は国鉄の民営化だった。「国鉄改革3人組」の1人であるJR東海の葛西敬之名誉会長は29日、中曽根氏の死去を受けて「国鉄の分割民営化は中曽根元首相のリーダーシップがあったからこそ実現できた。その結果が、鉄道の今の発展につながっており、大変大きな功績を残された」とのコメントを発表した。

「3人組」とは当時、国鉄の若手幹部だった井手正敬氏(のちのJR西日本社長・会長)、松田昌士氏(のちのJR東日本社長・会長)、葛西敬之氏(のちのJR東海社長・会長)を指す。国鉄入社年次が2年ずつずれている3人は、井手氏をリーダーに、松田氏が参謀兼まとめ役、葛西氏が切り込み隊長の役割を担った。3人の歩いてきたキャリアは異なるが、地方管理局の「労務」を担当したことが共通項である。彼らは地方の現場で、人事権までもを組合が握っている実態を知り、国鉄改革を志す。

 国鉄当局のなかで分割に反対する「国鉄護持派」と呼ばれた幹部らは、そんな井手氏らを中国の文化大革命を主導した「4人組」になぞらえて「3人組」と呼び、国鉄に弓を引く反逆者と見なした。後年、葛西氏は「サスペンスのような日々が続いた」と語っている。

<周りじゅうに敵がいた。反対派の監視は厳しい。電話は、盗聴されているとは思わなければならない。同志は、みんな、偽名と符丁でやりとりする。タクシー券も、行く先をチェックされるから、目的地から離れたところで降りる。そんなふうにしながら、仕事が終わった夜や休日に、臨調と自民党、さらに首相官邸を同時に動かす隠密作戦を続ける>(朝日新聞社「私の源流」)

 国鉄護持派にとって、分割・民営化に反対と見られていた田中角栄元首相が85年2月、脳梗塞で倒れたことが痛手となった。85年7月、国鉄再建監理委員会は、国鉄を民営化し分割する最終答申を発表した。「国鉄改革3人組」と、自民党運輸族の三塚博氏(のちの運輸相)、土光臨調の参謀役、瀬島龍三氏の連係プレーだった。

 国鉄の民営化は、赤字体質に陥っていた「親方日の丸」の独占事業に競争原理を導入し、サービスの向上や料金の引き下げを狙った。中曽根氏が国鉄を民営化したもう一つの目的は、日本最大・最強といわれた国労(国鉄労働組合)を潰し、社会党の力の源泉となっていた総評(日本労働組合総評議会)を解体させることにあった。国労だけで20名程度の代議士を当選させるだけの票を持っていた。国鉄職員27.7万人のうち、JR各社に約20万人が採用され、5.3万人が退職・転職した。2.4万人が国鉄清算事業団の職員になり、3年後の90年に解雇された。ほとんどが国労の組合員だった。国鉄民営化で牙を抜かれた総評と社会党は解体に向かった。中曽根氏は政治目的を達成した。

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