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江川紹子の「事件ウオッチ」第146回

江川紹子が解説【検事長定年延長】は何が問題か…正当化できない“脱法的人事”の果てには

文=江川紹子/ジャーナリスト
江川紹子が解説【検事長定年延長】は何が問題か…正当化できない“脱法的人事”の果てにはの画像1
検察庁

 政府が、黒川弘務・東京高検検事長の定年を延長させた人事が議論を呼んでいる。検事の定年は63歳だが、これを半年延長することで、安倍政権は黒川氏を次期検事総長(定年は65歳)に就任させるつもりではないか、との推測が飛び交う。

 私は、黒川氏とはほんの少しだけ接点があった。それは、厚生労働省の局長だった村木厚子さんが冤罪に巻き込まれた郵便不正事件で、大阪地検特捜部の主任検事が証拠の改ざんを行い、幹部がそれを隠蔽していたことが発覚した後の2010年11月のこと。法務大臣の下に、今後の検察について議論する「検察の在り方検討会議」ができ、私は委員のひとりとなり、黒川氏は事務局のトップを務めた。

「官邸の番犬」評への違和感

 検察への信頼は地に落ちていた。取り調べの録音録画の義務づけなどのほか、特捜検察の廃止など抜本的な組織改革を求める声もあり、法務・検察は最大の難局を迎えていた。そんな時、大臣官房審議官から松山地検検事正に異動して2カ月にしかならない黒川氏が、大臣官房付として呼び戻され、検察官らに加え、学者や弁護士を含めた事務局をまとめるトップに据えられたところに、その有能さへの期待がうかがえた。

 当時は民主党政権である。この会議の座長は、前法務大臣(当時)の千葉景子氏が務めた。その千葉氏を、黒川氏が常に寄り添うようにして補佐している姿は、今も強く印象に残っている。千葉氏も、何かと黒川氏を呼び寄せて相談するなど、その信頼の厚さは、傍目にもよくわかった。愛煙家の千葉氏のために、タイミングを見計らって会議場から外に連れ出すなど、黒川氏のきめ細やかな気配りには、舌を巻いた覚えがある。

 だから今、黒川氏が「官邸の番犬」「安倍政権べったり」と罵倒されているのを見ると、いささか気の毒な気がする。おそらく彼は、現政権に限らず、その時々に所属する組織と仕えるべき(と彼が考える)相手に尽くし、期待に応える仕事ぶりで上司を満足させる、忠実なる能吏タイプなのだと思う。

 私たち委員が検察にどんな批判的な意見を述べても、愛想良く話を合わせられる人でもあった。「在り方会議」には、捜査や検察の抜本的な改革を強く主張する者から、取り調べの録音録画にも後ろ向きな警察官僚出身者までいるなか、最後まで誰も離脱させずに、なんとか提言書をまとめたのだから、仕事を任せた側からすれば実に頼もしい官僚だろう。

 一部メディアは、黒川氏が壁になったために、特捜検察が政治家の事件を立件できなかったという“恨み節”を伝え、今回の人事でIR汚職などの捜査の動きが一気に鈍るという予想も伝えている。

 私は、それについてコメントする材料は持ち合わせていない。ただ、これを機に、匿名の特捜検察サイドの主張を安易に肯定する論調が勢いづいているのは、かなり気になる。

 というのは、最近の特捜検察(特に東京地検特捜部)は、郵便不正事件前に戻ったかのように、権力を自在に行使し、その存在感を誇示する“イケイケ路線”が目につくからだ。

 たとえば2017年に着手された、JR東海のリニア中央新幹線の発注に絡む談合事件。裁判を傍聴していると、JRの調達の仕方にも大いに問題があったのに、検察はそうした事情は一切捨象し、物事を単純化したうえで、無罪を主張する者を逮捕・起訴し、長期間の身柄拘束を行う一方、検察に従順な態度をとった当事者は、逮捕どころか起訴もしないという対応をとった。まったく同じ行為に関わっても、検察に従えば許してもらえるが、逆らえば犯罪者にされる。検察権力の強大さを知らしめる、ある種の見せしめが行われた事件だ。

 2018年11月に着手された日産ゴーン事件では、裁判所が保釈を認めると、証拠がそろっていない別の容疑で逮捕し、起訴後に海外での証拠集めをすることになったために、裁判開始が遅れ、被告人の迅速な裁判を受ける権利が侵害されている、という指摘もある。

 そうした特捜検察に対しては、冷静な論評が必要だと思う。最近のIR汚職に関しても、捜査によって中国企業が政治家に金をばらまいている実態が可視化されたのは大いに意義があったが、個々の政治家が罪に問えるかどうかは、また別問題。それについては、今後の裁判をきちんと見ていかなければなんともいえない。マスメディアは、逮捕時に大きく報じた特捜事件でも、裁判になると初公判や論告、最終弁論、判決という節目の手続きだけを取材・報道し、証人尋問や被告人質問を“スルー”する傾向がしばしば見られるが、本件ではそういうことがないように願いたい。

 話が脱線しかけたが、以上のような事情で、私は匿名の特捜検察情報に基づいて論じることには慎重でありたいと考えている。黒川氏が“イケイケ路線”から煙たがられているのが事実とすれば、それは悪いことばかりではないのかもしれない。

 ただ、それでも私は今回の人事には賛同できない、ということははっきりいっておかなければならない。そのいちばんの理由は、これを法の解釈変更によって強行したことだ。

恣意的な「法解釈変更」は許されない

 検察庁法22条は、「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。」と定めている。

 一方、国家公務員法第81条の3は、「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」は、最大3年の勤務延長を認めている。

 この規定を使って、現政権では内閣法制局の横畠裕介次長、近藤正春次長(いずれも後に長官)や自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長の定年を延長した前例がある。

 ただし、国家公務員法による定年制度は、「法律に別段の定めのある場合」は除かれる規定がある。検察庁法で「別段の定め」があるのだから、今回の人事には「違法の疑い」があると、元検察官の郷原信郎弁護士は指摘する。

 実際、国家公務員の定年制度導入を論議した1981年4月28日の衆議院内閣委員会でも、政府は「検察官と大学教官につきましては、現在すでに定年が定められております」として、国家公務員法での定年制度に、検察官は含まれないと明言している。

 人事院のホームページでは、今でも国家公務員法に基づく定年制度を解説した後、

「なお、検察官等の定年年齢は、検察庁法により定められています。
・検事総長 65歳
・検察官 63歳」

 と、わざわざ説明が付け加えられている。

 国会で野党議員からこの点を指摘されると、森雅子法相は「重大かつ複雑、困難な事件の捜査・公判に対応するため、黒川氏の指揮監督が不可欠」と答弁した。

「重大かつ複雑、困難な事件の捜査・公判」の例として、報道では日産ゴーン事件などが挙げられているが、いくら黒川氏が優秀でも、レバノンに逃亡したゴーン氏を日本の法廷に連れてくることが可能とは思えない。この件で、黒川氏でなければできない仕事とはなんだろう。

 この当然の疑問に、政府からはなんら納得できる説明がない。

 しかも、大臣がどれほど「不可欠」だと考えても、法的な根拠がなければ、定年を超えた人を勤務させることはできない。

 ところが政府は、「解釈変更」を持ち出し、この問題を乗り越えようとしている。検察官は国家公務員法上の定年制度には含まれない、という従来の政府答弁との矛盾を指摘されると、安倍首相は次のように答弁した。

「検察官も国家公務員で、今般、検察庁法に定められた特例以外には国家公務員法が適用される関係にあり、検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」

 検察庁法で特例で定年は定めているが、定年延長の規定はないので、延長については国家公務員法を適用するという“新(珍?)解釈”だ。

 社会の状況変化に対応するために、法令の解釈を変更することはありうる。安倍内閣は、内閣法制局長官をすげかえる、という禁じ手まで使って、集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変更し、国家安全保障基本法を成立させた。その手段にも内容にも、私は賛同できなかったが、少なくとも解釈を変更する必要性についての説明はあり、それについての論議は行われた。

 憲法でも法律でも、政府が解釈を変更する場合は、その必要性と正当性をきちんと国民に説明できなければならない。

 今回の解釈変更に、どのような必要性や正当性があるのだろうか?

求められる「公正らしさ」

 もし、今の高齢化社会の中で、検察官の定年が63歳では若すぎ、優秀な人材を活用しきれていない、ということであれば、検察庁法の改正で定年を変更する手続きを選ぶべきだ。あるいは、特別優秀な人に限って、例外的に定年延長をさせたいということならば、定年延長に関する特例を同法に書き込めばよい。

 それでは黒川氏には間に合わない、というかもしれないが、それは仕方がない話だ。

 法の執行に当たっては、適正な手続きが命だ。たとえ犯罪を犯したことが確実、と思われる人であっても、その身柄を拘束したり、証拠を押収するには、適正な手続きを踏まなければならない。そうした、もっとも適正手続きが重要視される場に、脱法的手法による人事を、“解釈変更”などという離れ業を使って持ち込むべきではないし、これはとても正当化できない。

 現政権はなぜ、こんな無理筋の恣意的人事をあえて行ったのだろう。

 与党議員が絡む事件捜査に圧力をかけようという憶測が飛び交っているが、黒川氏がいかに優秀でも、彼ひとりで、検察が組織を挙げて捜査し、証拠を固めた事件を封じ込めることができると考えるのは、あまり現実的でないように思える。

 なんらかの具体的な事件を“潰す”とか、黒川氏に何かをさせるためというより、国会議員や首相経験者すら逮捕できる強大な力を持つ検察といえども、人事を牛耳るのは官邸だ、というところを示し、力関係を検察組織(とりわけ幹部候補者)に見せつけるのが、最大の目的ではないか。それはとりもなおさず、官邸に権力を集中させる一強体制の仕上げでもあろう。

 今回の強引な人事がもたらす負の作用は小さくない、と思う。仮に今後、黒川氏が検事総長の座につくようなことにでもなれば、検察がもっぱら法的な観点で行った判断についても、少なからぬ国民が、そこに政府の意図や影響力を感じ、不公正ととらえることが増えるだろう。だからこそ、こうした強い権力を持つ組織は、単に自分たちが「公正」にふるまうだけでなく、人々の目に公正に映る「公正らしさ」も必要なのだ。公正らしさが失われれば、検察に対する国民の信頼は失われていく。

 法務省サイドは当初、黒川氏は定年で引退し、稲田伸夫検事総長が4月に京都で開かれる犯罪防止刑事司法会議(通称「京都コングレス」)を花道に勇退、黒川氏と同期で現在名古屋高検検事長を務める林真琴検事長が後任となる案を官邸側に示していた、との報道もある。それが事実なら、現場の検事たちは、官邸主導の強引な人事で黒川氏が検事総長に就任した場合、果たして納得するだろうか。

 今回の人事は、結局のところ、検察組織の士気や国民の信頼、さらには黒川氏の評価や名誉のいずれをも低下させることにしかならない、と思う。

 撤回が困難であれば、たとえば同氏には法務官僚として培った手腕を京都コングレスの準備などに発揮してもらい、それが終わった後に“卒業”することとして、後任の検事総長人事はゼロから検討し直すようにしたらどうか。そのようにして、生じるマイナスを最小限に押さえ込む道を考えるしかない。

 そして、このような脱法的人事を検察に対して強行したことついて、政府は猛省してもらいたい。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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