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森会長辞任、日本で報じられないIOCからの感謝…「五輪歴史の中で最も十分な準備」

取材・文=相馬勝/ジャーナリスト
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東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の公式サイトより

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会森喜朗会長が辞任したあとも、後任について「密室での決定」などと批判が続出し、いまだに次期会長就任のめどが立たないようだ。

 海外メディアも森会長辞任を速報するなど、強い関心を示している。今回の騒動では、森氏の発言撤回の段階で、国際オリンピック委員会(IOC)や日本政府も幕引きを考えていたとみられるが、海外から森氏非難の声が高まるにつれて、辞任は不可避となっていったように見える。

 来年2月の北京冬季五輪のホスト国である中国は、習近平国家主席が大会会場を視察し関係者を激励するなど、国家を挙げて着々と準備を進めているなかということもあり、日本での一連の騒動に耳目をそばだてていたのではないか。

 中国の華僑向け通信社「中国新聞社」は森氏の一連の発言を紹介した上で、「スポンサー企業やアスリート、ボランティアから強い不満や批判の声が出ていた」と報道。中国国営中央テレビ局(CCTV)も「(森氏の)不適切な発言が世論の批判を招いた。日本の世論調査で6割が森氏は職にふさわしくないと答えている」と伝えた。国営新華社通信も「組織委員会にとって、発言後の圧力を和らげるには森氏の辞任が唯一の選択肢だった」と論評。森氏が国内外のスポンサー企業や内外のアスリート、さらに日本国民からも信頼を失い、日本政府も森氏の会長辞任を食い止めることができなかったと結論付けている。

私が直接知る森氏の人物像

 筆者はジャーナリスト活動を通じて森氏を取材したこともある。それどころか、森氏は私よりも20歳年長なのだが、私は中学生の頃から知っており、身近に感じてきた。なぜならば、森氏の郷里である石川県能美郡根上町(平成の大合併で、根上町などの能美郡の大半は現在の石川県能美市に編入)に私は高校卒業時まで住んでいたからだ。

 私が森氏を初めて見たのは、森氏が1969年12月の衆院選で初当選したあと、根上町の武道館で開かれた自民党福田派の代議士グループの演説会だった。「おらが町の代議士」ということもあって、多くの聴衆が押しかけて、会場に入りきれず立ち見も出るなど超満員の大盛況だった。

 当時の私は14歳で、田舎の中学生だったこともあって、世間のことは何もわからないなかで、森氏について「偉いもんだ。私も将来、代議士になりたいものだ」などと不遜にも思ったものだ。「ではどうしたら、代議士になれるのか」と考えた。ごく一般的に、「良い大学を出て、中央官庁に入ってキャリアを積んで、選挙に出て代議士になる」ということくらいしか思いつかなった。「では、今はどうすればよいのか」と考えると、「勉強して、良い高校に入って、良い大学に入る」くらいしか、わからなかった。

 当時、根上中学校では町長の息子である氏が衆院議員に当選したこともあってから、生徒全員に「あなたは将来、政治家になりたいか」などというアンケート調査を実施したが、当時の校長先生は「『政治家になりたい』と答えたのはたった1人だった」と明かしてくれた。実はその「たった1人」が私だった。

 というわけで、とりあえず勉強しようということになって、高校も出て大学も卒業して選んだ職業は、政治家とはまったく違う新聞記者だった。とはいえ、森氏も大学卒業後も新聞記者になっており、しかも私が入った新聞社と同じだったというのも偶然の一致だ。

 私の場合、新聞社に入ったのは「中国問題をやりたい」という強い動機があり、もう国内政治への関心はまったく消えていた。産経新聞社のなかで外信部記者としてずっと中国問題を専門にしていれば、本来ならば森氏と私の接点はなかったはずだ。

 ところが、新聞社には人事異動があり、専門以外の部署に飛ばされることもある。私も一時期の2年間、大阪本社地方部で勤務した。「中国以外の記事は書かない」というわけにはいかず、夕刊で森氏のインタビューを20回ほど連載したことがある。その後、東京本社の日本工業新聞社が創刊した「フジサンケイビジネスアイ」の中国経済担当記者として東京に帰り、そこでもインタビューしたこともある。その後、外信部に戻り、退社してからも、出版社の媒体でも取材させたいただいたこともある。私にとっては「故郷の大先輩」であり「新聞社の大先輩」でもあることから、森氏には個人的にもお世話になったことはいまでも感謝している。

 このような経緯もあって、私は一個人として今回の一連の騒動について深い関心を抱いてみていた。

森氏の功績への高い評価

 いずれにしても、森氏は総理大臣や主要閣僚、党の重要な役職も経験され、政治家として連続14回当選、42年間も衆院議員を務めるなど、政界の実力者であることは間違いない。ただ、失言癖が抜けず、誤解を招くような失言によって、窮地に立たされたことは一度ではない。今回も失言によって、東京五輪組織委の会長職を辞する結果に追い込まれた。個人的には非常に残念な思いだ。

 ただ、私が個人的に考えられないのは、森氏が演説する際、あまり原稿を事前に準備していないのではないかということだ。それだけ、森氏が弁舌に自信があるということだと思うが、私みたいな話下手からすると、「原稿なしの講演なり演説は危険だ」と感じざるを得ない。講演中に、話に詰まって、何を言って言いかわからず立ち往生してしまったら、目も当てられない。それとは逆に、すらすら言葉が出るのはいいが、それが思わぬ反発を招いたときは悲劇だ。

 ところで、冒頭の中国の報道だが、その後も中国メディアは続報を流している。そのなかで、日本メディアは報じていないが、IOCのバッハ会長が声明を発表し、森氏について「これまで8年間の森会長の貢献に深く感謝する。森氏の努力のおかげで、東京はこれまでの歴史の中でも、最もオリンピック・パラリンピックを開催するための十分な準備を行ってきた都市である。IOCは今後も森氏の後継者とともに、協力関係を継続していきたい」などと伝えて、森氏の功績を評価している。

 日本メディアはバッハ会長の声明について、ほとんど報道していないので、代わりに中国メディアが報じたというわけではないだろうが、日本では今回の騒動でも「森憎し」の感情が先行してしまったとの印象が拭いきれない。私がこう思うのも、森氏へ個人的な感情を移入しすぎているためだろうか。

(取材・文=相馬勝/ジャーナリスト)

相馬勝/ジャーナリスト

相馬勝/ジャーナリスト

1956年、青森県生まれ。東京外国語大学中国学科卒業。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大学東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現在ジャーナリスト。著書は「中国共産党に消された人々」(小学館刊=小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作品)、「中国軍300万人次の戦争」(講談社)、「ハーバード大学で日本はこう教えられている」(新潮社刊)、「習近平の『反日計画』―中国『機密文書』に記された危険な野望」(小学館刊)など多数。

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