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菅野智之や中村剛也も…惜しくもセンバツ出場ならず、甲子園と無縁だった有名プロ選手たち

文=上杉純也/フリーライター
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「photo AC」より

 2年ぶりに開催され、連日熱戦が続く春の選抜高等学校野球大会(通称:センバツ)。この夢の舞台からは、これまで数多くのプロ野球選手たちが巣立っていった。

 だが、その裏で、不運にも出場を逃した有名選手も少なくない。今回はのちにプロの舞台で大活躍するも、センバツとは無縁だった球児たちを紹介しよう。

菅野智之(読売ジャイアンツ)

 まずは今や“日本最強のエース”ともいえる菅野智之(読売ジャイアンツ)である。その母校は、神奈川県内きっての強豪校・東海大学付属相模高校。実は2年生時の2006年のセンバツにチームは出場しているのだが、このとき菅野はベンチ入りメンバーから漏れていた。同年秋の県大会も準決勝で桐光学園に6-7で惜敗し、関東大会進出を逃している。

内海哲也(埼玉西武ライオンズ)

 かつて読売の左腕エースとして投手陣の屋台骨を支え続け、18年オフにFAの人的補償として埼玉西武ライオンズに移籍した内海哲也は、まさに“悲運の好投手”ともいえる。

 北陸の強豪・敦賀気比高校(福井)出身で、自身がエースだった09年の2年生秋。チームは県大会と続く北信越大会も圧勝したことから、翌年のセンバツ北陸地区代表に選ばれた。最速143キロの本格派左腕・内海を擁し、優勝候補の一角に数えられるほどだった。

 ところが、大会開幕を目前に控えた3月上旬に、事態が急転する。なんと同じ2年生のチームメートが飲酒のうえ乗用車を無免許で運転し、追突事故まで起こしてしまったのだ。                    当然、出場辞退である。

 だが、その無念から内海は立ち上がり、必勝を期して最後の夏に挑んだ。順調に決勝戦まで勝ち上がり、あと1勝と迫ったが、そこに立ちはだかったのは名門・福井商だった。2-2で突入した延長10回表に決勝の1点を奪われ、悲願の甲子園出場は果たせなかった。

黒田博樹(元広島東洋カープなど)

 不祥事が原因でセンバツに出場できなかった選手といえば、元メジャーリーガーの黒田博樹(元・広島東洋カープなど)もそうである。

 大阪の強豪・上宮高校で2年生だった1991年秋。黒田は速球には威力があったが、制球難のため3番手の控え投手に甘んじていた。事実、チームが優勝した同年秋の府大会では1試合も登板していない。

 だが、練習に次ぐ練習で制球力がついたことで、当時の監督が黒田の登板を決断。秋の近畿大会準々決勝の日高高校(和歌山)戦、準決勝のPL学園高校(大阪)戦、そして決勝の天理高校(奈良)戦と、3試合連続でリリーフ登板を果たし、好救援をみせた。

 決勝戦は6-8で敗れたものの、そこで黒田は6回を投げて被安打3、無失点の好投。チームは近畿大会準優勝校ということもあって、翌春のセンバツ出場は確実視されていた。そして黒田も準優勝に貢献したことから、甲子園のベンチ入りメンバーに選ばれる確率が非常に高かった。

 ところが、近畿大会終了直後の12月。野球部前監督が授業中に行った体罰が告訴問題に発展。これを重くみた学校側が高野連に対し、自主的に推薦辞退を申し入れてしまう。こうして黒田のセンバツ出場は幻と消えてしまった。

中村剛也(埼玉西武ライオンズ)&岩田稔(阪神タイガース)

 大阪といえば、今や“史上最強チーム”と称される大阪桐蔭高校を忘れてはならないだろう。実はこの大阪桐蔭出身なのに、センバツどころか3年間まったく甲子園と無縁だった選手が2人いる。チームが今ほど常勝軍団ではなかったときのことだ。

 その2人とは、西武のホームランアーティスト“おかわりくん”こと中村剛也と、阪神タイガース一筋の生え抜き投手としては現役最年長投手となった左腕・岩田稔である。

 チームで同級生だった2人は2000年、2年生秋の大阪府大会で準優勝し、近畿大会に進出する。初戦で有田中央高校(和歌山)に11-1と大勝し、続く準々決勝に勝てば翌春のセンバツ出場がほぼ確実になるハズだった。

 ところが肝心の試合でチームは鳥羽高校(京都)の前に2-8で完敗。中村はソロホームランを放ったものの、空砲に終わってしまった。このときの近畿の一般出場枠は7枠あったため、ベスト8敗退でも選ばれる可能性はあったが、同じ大阪勢の関西創価高校が準優勝し、ベスト4にも浪速高校が残っていた。要は“同一都道府県から3校出場はNG”というルールに抵触し、“補欠校”扱いになる。結局、センバツ切符はつかめなかった。

 中村・岩田擁する大阪桐蔭は、最後の3年夏も大阪府予選決勝まで進出。だが、上宮太子高校の前に延長11回の激闘のすえ、5-6と無念の惜敗に終わっている。

能見篤史(オリックス・バファローズ)

 この大阪桐蔭の落選は、その理由が理解できなくもない。だが、現在オリックス・バファローズで投手コーチを兼任する能見篤史も選考の結果、チームが補欠校となってしまったパターンだが、その理由が不明瞭だ。

 高2だった1996年秋。能見は鳥取城北高校のエースとしてチームを県大会優勝に導いた。続く秋の中国大会もベスト4進出。当時の中国地区の出場枠は3校だったため、準決勝敗退の2校は当落線上にあった。

 だが結果は、同じベスト4敗退組の岡山南高校が総合力でわずかに上回ると判断され、鳥取城北は惜しくも補欠校に回ったのである。選ばれた岡山南は準決勝で西京高校(山口)に3-4、落選した鳥取城北も豊浦高校(山口)に1-3と、どちらも惜敗だったが、決勝戦で西京が豊浦に10-5で快勝した点も鳥取城北には不利に働いたワケだ。

 ちなみに、このときの能見は、水戸商高校(茨城)の井川慶(元阪神など)、平安高校(現龍谷大平安=京都)の川口知哉(元・オリックス)とともに“高校生左腕三羽カラス”と称されるほどのプロ注目の投手だった。その能見を持ってしても、アピール不足だったのである。

 よく「春がダメでも夏がある」と言われる。だが、ここで紹介した6選手全員、最後の夏も予選で敗退しているのだ。それでもプロの世界では圧巻の活躍をみせている。甲子園を逃した悔しさをバネに飛躍したワケだ。たとえ甲子園に出場していなくても、自分次第でプロの世界で一流選手になれることを証明してくれている。

上杉純也/フリーライター

上杉純也/フリーライター

出版社、編集プロダクション勤務を経てフリーのライター兼編集者に。ドラマ、女優、アイドル、映画、バラエティ、野球など主にエンタメ系のジャンルを手掛ける。主な著作に『テレビドラマの仕事人たち』(KKベストセラーズ・共著)、『甲子園あるある(春のセンバツ編)』(オークラ出版)、『甲子園決勝 因縁の名勝負20』(トランスワールドジャパン株式会社)などがある。

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