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江戸時代後期~明治時代の日本の皇族、有栖川宮熾仁親王。和宮親子内親王との婚約を解消させられ、和宮は泣く泣く徳川家茂のもとに輿入れした。熾仁親王は許婚(いいなずけ)を略奪されて「徳川許すまじ」と思っていた……かもしれない。(画像はWikipediaより)

江戸初期、後陽成天皇の第7皇子が「高松宮」を創設、その後「有栖川宮」として明治まで存続した宮家

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、孝明天皇の妹・和宮親子(かずのみや・ちかこ/演:深川麻衣)内親王が、有栖川宮熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王との婚約を解消し、14代将軍・徳川家茂(いえもち/演:磯村勇斗)のもとに輿入れした。

 では、有栖川宮ってなんだ?

 有栖川宮は旧皇族のひとつで、寛永2(1625)年に後陽成天皇の第7皇子・好仁(よしひと)親王が創設した。当初は高松宮(たかまつのみや)と名乗っていたが、3代・幸仁(ゆきひと)親王が有栖川宮と改称したのだという。4代・正仁(ただひと)親王は子がなくして死去したため、霊元(れいげん)天皇の第17皇子・職仁(よりひと)親王が継ぎ、以後その子孫が継承していった。

「有栖川宮熾仁親王に嫁ぐよりも、家茂サンでよかったかもぉ~」と和宮は思ったかも?

 職仁親王の孫・登美宮吉子(とみのみや・よしこ/演:原日出子)は、徳川斉昭(演:竹中直人)に嫁ぎ、嫡男の徳川慶篤(よしあつ/演:中島歩)、七男の徳川慶喜(演:草なぎ剛)を生んだ。

 和宮が婚約した有栖川宮熾仁親王は、吉子の兄・有栖川宮韶仁(つなひと)親王の孫にあたる。

 和宮は婚約を解消され、泣く泣く徳川家に嫁いできた悲劇のヒロインとされてきたが、近年では「いや、意外にそうでもなかったんじゃないの」説が主流になりつつある。

 婚約といっても、和宮が5歳の時に周囲が勝手に決めたものであり、和宮にそこまでの思い入れがあったかは定かではない。一方、家茂は、和宮との夫婦仲を円満にすることが、時の政治情勢を好転させるものと理解していたため、すこぶるいい夫だったらしい。

 ずっと御所に住んでいた姫にとっては、人外魔境の地・東(あずま)くんだりに嫁に行かされて、その上、お姑さん(篤姫/演:上白石萌音)には辛く当たられて、でもでも、ダンナさんは優しくて――ってなったら、そりゃあメロメロだよね。実際、夫婦仲はよかったらしい。

 ダンナさんの家茂が上洛するというので、結婚して2年目(文久3年/1863)の2月、和宮は無事を祈って御百度参りを始める。なんだかんだで延期になったけど、12月に上洛することになり、また御百度。半年後(元治元年/1864)の5月に家茂が無事帰還して、その御礼にまた御百度。ところが、1年後の慶応元(1865)年5月に家茂は上洛。というわけで、和宮はまたも御百度。そして、翌慶応2年に家茂が大坂で病気になったと聞けば、また御百度――7月20日もいつも通り御百度を済ませていたのに、家茂は帰らぬ人となった。

 むしろ近年では、家茂に嫁いだことより、家茂が若くして死去してしまったことのほうが、和宮にとって悲劇だったとする傾向が強い。

 家茂は上洛にあたって、まさかの時には田安徳川家の亀之助(のちの徳川宗家16代・徳川家達/いえさと)を継嗣に迎えるように申し伝えていた。その「まさか」が起きてしまったのである。幕閣は「次の将軍は誰にしますか? 亀之助様ですか?」と和宮の意向を打診した。ところが亀之助はまだ2歳。篤姫は慶喜を将軍にするために薩摩から派遣されてきたのに、この頃はスッカリ慶喜嫌いに転身しており、亀之助の相続を主張したが、和宮はこの難局を乗り切るには2歳児じゃダメだと冷静に返答したという。

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有栖川宮幸仁親王。寛永2(1625)年に後陽成天皇の第7皇子・好仁親王が有栖川宮を創設。当初は高松宮と名乗っていたが、幸仁親王が有栖川宮と改称したのだという。(画像はWikipediaより)
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