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なぜ名門企業・日本製鉄は、売上80分の1の東京製綱に敵対的TOBを仕掛けたのか?

文=編集部
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日本製鉄君津製鉄所(「Wikipedia」より/Chime)

 ワイヤロープの国内最大手、東京製綱の経営陣が混乱の極みだ。

 3月末、田中重人会長(78)が辞任したのが発端だが、取締役全員の8人が6月25日の株主総会で退任し、新たな経営陣が選ばれると、4月26日に発表した。取締役の総入れ替えは経営破綻したり、乗っ取られたりした企業などでは往々にして起こりがちだが、平時の上場企業では、まったく異例である。

 経営体制の刷新や業績改善策をめぐって東京製綱は筆頭株主の日本製鉄と対立してきた。日本製鉄による敵対的株式公開買い付け(TOB)が成立したことを受けたものであることは想像に難くない。

 日本製鉄のTOBは、東京製綱の経営権を握ることが目的ではなかった。持ち分法適用会社にすらしなかった。日本製鉄OBの田中会長の首をとるためTOBを仕掛けたというのが真相だ。それが、今回、役員の総取っ替えに発展した。「グローバル企業の日本製鉄が東京製綱にそこまでやるのか」(TOBに詳しいアナリスト)と驚きの声が上がっている。

 日本製鉄は官営八幡製鐵所を源流とし、新日本製鐵時代には「鉄は国家なり」と言ってはばからなかった。そんな大企業が、なりふりかまわず東京製綱を力でねじ伏せた。東京製綱は1887年、艦船用のマニラ麻のロープを国産化するために設立された。「日本資本主義の父」と言われ、2021年のNHKの大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一が創業メンバーの株主に名を連ね、渋沢が初代会長に就いたことで知られる。

 ロープの素材が鉄に移った。東京製綱はエレベーターやロープウェー、クレーンなどに使われるワイヤロープを製造するようになり、1970年1月、富士製鐵が資本参加した。同年3月、八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日本製鐵が誕生した。新日鐵は住友金属工業との経営統合後、日本製鉄となり、現在も東京製綱の筆頭株主である。日本製鉄は東京製綱に原材料を供給している。

「ガバナンスの機能不全」と責任を追及

 日本製鉄は1月、東京製綱に対するTOBを発表した。TOB価格は1500円。36.5%のプレミアムを付けた。出資比率をTOB直前の9.9%から19.9%まで高める。これに対し、東京製綱は「事前に何らかの通告も連絡もなく、一方的にTOBが開始された」と反発。2月初旬にTOBに「反対」を表明したことから経営陣が同意しない敵対的買収へと発展した。

「トップ指名プロセスの形骸化」「独立性・多様性が不足した取締役会」─。日本製鉄が公表したTOBの説明書は辛辣な言葉のオンパレードだった。田中会長の名前を挙げ、「代表取締役の在任期間が20年に及ぶ」ことを問題視した。報道陣に対して日本製鉄の幹部は「退任は必須」と言い切った。日本製鉄が「もの言う株主」になったようだと分析する市場関係者も出た。

 日本製鉄は2017年春から東京製綱に経営改善を促してきたという。「ガバナンス体制の機能不全等の問題を抱えているにもかかわらず、それらの問題に対する有効な対応策を講ぜず、業績が継続して悪化している状況をこれ以上看過することはできない」(日本製鉄)と、かなり強い調子で不信感を露わにした。「ガバナンス体制の機能不全」の元凶として田中会長を名指ししたと市場関係者は受け止めた。

 TOBの目的が田中会長の追い落としにあることが明白になった。TOBが成立したのだから田中会長の辞任は当然の帰結であろう。

TOBの背後に個人的確執が存在

 田中氏は1943年1月生まれの78歳。67年、富士製鐵に入社。合併後の新日鐵で取締役大阪支店長だったのを最後に退任。2001年6月、旧富士製鐵の出資先である東京製綱の副社長に転じ、翌02年4月に社長に就任した。2010年から会長の座にある。この間、代表取締役をずっと続けてきた。

 日本製鉄の前身の新日鐵住金時代から確執があったようだ。だから、東京製綱の定時株主総会での田中氏の取締役再任の賛成率は低かった。18年6月総会の賛成率は79.47%、19年6月総会は80.2%、20年6月の総会は82.21%。浅野正也社長の賛成率が94.90%あったのと比べ、かなり低い。日本製鉄が田中氏の再任に一貫して反対票を投じてきたことを示している。

 19年4月、新日鐵住金は社名を日本製鉄に変更。1950年の旧日本製鐵解体後、69年ぶりに日本製鉄という名前が復活した。1970年、八幡製鐵と富士製鐵合併で発足した旧新日本製鐵の歴代社長の悲願がやっと実現した。

 社名変更に伴い、橋本英二副社長が社長に昇格、進藤孝生社長が代表権のある会長に就いた。橋本社長は79年に新日鐵に入社、進藤会長は新日鐵発足の3年後の73年に入社した生え抜きである。

 これに対して、東京製綱の田中会長は新日鐵発足以前の富士製鐵に入社した長老である。個人的確執が今回のTOBの背後にあるとの指摘もある。

浅野社長の後任は子会社の社長

 浅野正也社長(61)の後任には、東京製綱の出身で子会社、長崎機器(本社長崎県時津町で非上場)の原田英孝社長(57)を起用する。原田氏は1987年に東京製綱に入社。執行役員、東綱ワイヤロープ販売社長を経て20年4月から長崎機器の社長を務めている。新たな取締役候補は原田氏を含め10人で、このうち6人が社外取締役となる。社外取締役6人のキャリアは以下の通りである。

 上山丈夫氏は三陽商会の顧問。アパレル大手の三陽商会ではなく、伊藤忠丸紅鉄鋼の完全子会社でプラント鋼管などの販売を行っており、上山氏は三陽商会の前社長である。狩野麻理氏は昭和女子大学国際交流センター長でオカムラの社外取締役。

 葛岡利明氏は元日立製作所代表執行役、執行役専務。名取勝也氏は弁護士でリクルートホールディングス監査役、樋口靖氏は熊谷組相談役。熊谷組の前社長である。山本千鶴子氏は公認会計事務所所長で旭化成と共同開発した不織布で知られる小津産業社外監査役である。

 メーカーの経営に関与したことがあるのは葛岡氏ぐらいなもの。樋口氏は準大手ゼネコンの熊谷組の前社長だから経営者としての経験はある。それでもワイヤロープの製造会社の社外取締役に女性が2人入る事例はそう多くないはずだ。「いったい誰がこの6人を選んだのか」との疑問が湧いてくるのが普通であろう。

 東京製綱は「(全取締役の退任は)日本製鉄との協議を踏まえて決めた」としている。一方、日本製鉄は「新たな体制は東京製綱の企業価値の回復・向上に資する」と歓迎するコメントを発表した。

 日本製鉄の経営陣が出資先に対して、大株主として経営改善を厳しく要求し、役員を交代させるのは間違っていない。大株主として正当な権利の行使である。ただし、それは今後、日本製鉄の経営陣に対して厳しく結果責任を問うことになるのは自明のことである。

(文=編集部)

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