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鬼塚眞子「目を背けてはいけないお金のはなし」

障がい者の岡部さんが入社して、ライフネット生命の社内全体、社員一人一人が変わった

文=鬼塚眞子/一般社団法人日本保険ジャーナリスト協会代表、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表
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岡部祐介さん

 世界ろう者陸上競技選手権の銀メダリストである岡部祐介さんですが、前職では練習時間が思うように取れず苦悩していました。2016年、岡部さんはライフネット生命に入社しました。同社は当時、障がい者の雇用をしていませんでしたが、「どのような障がいがあっても、社員にも良い風を吹かせてくれるような人を採用したい」との思いで採用活動を行うなかで、岡部さんと出会いました。

 岡部さんにはアスリートとして大成したいという夢があります、決して自分が有名になりたいからではありません。日本ではまだ認知度が高いとはいえない、ろう者への理解を深める活動を展開することと、過去の自身の経験を振り返って、偏見やいじめを受けがちな、ろうの子どもたちの希望の光となり、バリアフリーな社会を目指すために貢献したいと願っているからにほかなりません。

 同時に、現役生活にピリオドを打ったあとに待ち受けるセカンドキャリアについても真剣に考えていました。入社時点ですでに26歳、選手生命としてもそれほど多くの時間が残されているわけではありません。そのため、ビジネススキルを高め、いろいろな可能性を探りながら、仕事も陸上もバランスよい感覚で全力を注げる環境に身を置きたいという強い思いがありました。

 当初、保険にはまったく関心のなかった岡部さん。

「面談を重ねるうちに、保険会社という未経験のフィールドで新たなビジネススキルを身につけ、視野を広げることが、この会社なら実現できると確信しました」

 こうして晴れて同社のアスリート雇用第一号となり、試合に出場するのもトレーニングも、講演やイベントなどのろう者の啓発活動もすべて業務となりました。人事総務部に所属する岡部さんは、動画やFacebookなどで社内外の広報活動に関わっているほか、契約の締結から社内決裁、請求処理をする総務業務にも携わることになりました。

岡部さんに起こった葛藤

 お客様に関することに誤りがあっては大変なので、同社はPCを使って岡部さんや周囲と相談しながら業務を行っていましたが、岡部さんを理解したいと心から願い見守る中で、あることに気付きだしました。

 ろう者の方にとって、手話が第一言語、日本語は第二言語です。聞こえないなかで第二の言語となる日本語を習得してきたため、岡部さんはメール1通を送るにも、とても悩みながら文章を考えて送っていたのです。また会議の時もスライドを見てもらうことだけではなく、隣に座った人が筆談ボードに要約するように段取りを決めていましたが、伝わり切らないことも多々あることがわかりました。

 一方、岡部さんも、会議の時のように毎回隣に座った方に筆談を頼むのが申し訳ないとの理由で、社内で開催している勉強会の出席も断っていました。毎回欠席となると、周囲も誤解してしまいます。

 こうした葛藤は、飲み会の席でも起こっていました。多くの社員が岡部さんの入社を喜び、歓迎会を開きました。岡部さんを取り囲むように参加者は次々に話しかけていきました。いくら岡部さんが、読唇術が得意とはいえ、同時に一人ひとりの唇を読み取ることは不可能です。その後も飲み会は何度かあり、岡部さんはコミュニケーションがとれておらず、楽しくないことを切り出すことができませんでした。

 みんなが楽しそうに話しているのを見るにつけ、そこに入っていけない自分がいる。子供の頃からこうしたことは何度もありました。けれど、これまでと違って、その輪には自分を受け入れてくれる温もりに溢れていました。だからこそ、余計に切り出せなかったのです。

 岡部さんは他人への気配りができる分、迷惑や負担をかけることを嫌います。岡部さんが遠慮するのは、今まで周囲のサポートを受けながら生きてきた中で、相手への負担を常に考えてきたことがありました。

 岡部さんの思いに気がついた同社は、ボウリングや卓球のような大勢でも一緒に楽しめ、盛り上がることのできるスポーツイベントに切り替えます。団体スポーツは普段見られない一面を垣間見られます。岡部さんと社員同士だけではなく、社員同士も親密になっていきました。

 業務でも、同社はオンラインの手話通訳サービスを導入したり、岡部さんが参加する定例会議等には専属の手話の方に入ってもらうなど、コミュニケーションの環境を整えていきました。

 知ることは理解することの第一歩です。困っていることがあれば、何がどう困っているのか、他に方法はないのか、どうすれば解決できるのか、それこそが障がいの有無に関係のない成熟した社会の始まりです。同社にとっても岡部さんにとっても、理解し合えれば解決の手段が見つかるというかけがえのない経験を重ねていきました。

意識に変化

 ところが、またしても問題が起こります。岡部さんは会社や仲間に気を使いすぎるところがあり、広報から取材や講演の提案を受けても、「恥ずかしい。それに仲間が仕事をしている時に、自分が陸上の話をしていいのか悩んでしまう」と、乗り気ではなかったのです。過去の成績に甘んじる岡部さんではありませんが、間違いなく世界のトップアスリートです。今日までの並々ならぬ努力も実績も、広報担当は十分に理解していました。

 岡部さんの講演や指導を待ち望んでいる人は大勢いると確信した広報担当は「あなたはアスリートとして大成したいんだよね? スポンサー企業様や応援してくださる方に対して、『恥ずかしい』ではなく、きちんと活動報告をするのが仕事でしょう」と表に出たがらない岡部さんの背中を押しました。

 こうして世界のトップアスリートのノウハウを活かした数々の企画が実現することになりました。取材や講演以外も引き受けるほか、出場した競技大会の様子をFacebookなどに発信したり、かねてより希望していた「ろう者の子ども向け陸上教室」も実現しました。この教室に参加したお子さんやご両親から、「運動会のリレーがいつもビリだったのに、脱却しました!」とか「3位になれました!」と大評判を呼びました。

 耳の聞こえる小学生や一般の人に向けての講演やイベントにも出席するようにもなり、参加者の目が輝く様子に触れ合ううち、岡部さんの意識も変わっていきました。講演やイベントの終了後は、振り返りを行い、より内容や展開を充実させてグレードアップをしていき、今では「コロナ禍が落ち着いたら、今後も継続してやっていきたい」と意欲を見せるほどです。

社内に起きた変化

 社員に対しての活動は、毎週実施されている手話講座、手話勉強会の開催、手話部部長としての活動などがあります。ほかにも、ノウハウを活かした企画「岡部体操」やトレーニングの個別相談も実施しています。「岡部体操」は、デスクワークで運動不足になりがちな社員向けに、室内でできる簡単なトレーニングを紹介しています。社員の健康・トレーニングの個別相談も“世界の岡部”さんから直接アドバイスを受けられるとあって、こちらも大評判です。

 社員に手話が浸透するにつれて、ライフネット生命に新たな風が吹きました。同社には、社員同士で感謝の言葉を言い合う文化があります。いくら人事総務部が声かけを行っても、「ありがとう」と言うのは照れるものです。手話の「ありがとう」は、以下の写真のようにとても簡単です。これなら、気軽に「ありがとう」も言えます。「ありがとう」が溢れる社内には、優しさと思いやりが溢れました。

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手話「ありがとう」

 また岡部さんが入社したことで、岡部さんの身近で働いている人にも影響を与えました。何人かは、手話検定を自主的に受けて合格しています。

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小学校で講演する岡部祐介さん

 こうしたことは外部のイベント時の対応にも、いかんなく発揮されました。同社はLGBTQの活動も積極的に行っていて、毎年ゴールデンウィークに渋谷で開催される「東京レインボープライド」というイベントにブースを出しています。参加者の方がフォトブースで写真を撮られると、1人につき100円ずつ同社がチャージをして、そのストックを元に全国の図書館等にLGBTQの理解を深めるための児童書を寄付する活動を行っています(2020年は中止、2021年はオンライン開催)。そのイベントには、ろう者も多数訪れますが、今では当たり前のように社員はろう者の方にジェスチャーや筆談で対応できるようになりました。

ダイバーシティという言葉の持つ意味の広がり

 同社にとって、岡部さんは、どんな存在なのでしょう。森亮介代表取締役社長はいいます。

「当社は創業以来『ダイバーシティ(多様性)』を強みとしていますが、5年前に岡部さんが入社されて以降、ダイバーシティという言葉の持つ意味の広がりを、社員がより解像度高く認識できるようになりました。ダイバーシティを活かすためには、自分とは異なる他者への想像力を働かせながら対話していくことが、とても大事だということを実感しています。また、最高の結果を出すためにコンディションを管理して自分自身と戦う岡部さんのアスリートとしての姿勢は、高いプロ意識を持つ他の社員の模範になっています」

 岡部さんに今後の抱負を聞きました。

「業務では、もっとビジネススキルを向上させていきたい。環境に甘んじてはいけないと思いますし、まだまだ勉強することばかりですが、当社は、ろう者の私でも本当に安心して働ける会社だと感じています。ろう者が社会に出ると、日本語は第二言語だということが企業や職場に理解いただけず、業務能力が低く評価されてしまうケースもあると聞いています。たとえ、ろう者を理解してもらえない状況であっても、良い関係性を築き、チャレンジしていかなければならないとも考えます。

 活躍の場が広がるにつれて、聴者との関わりも多くなります。陸上競技では走るのは私一人ですが、そのためには大勢の方がいて、みんなとのチームプレイなのです。だから、社会人としてもアスリートとしても、どんなに大変でも、決して逃げ出したりはできない。支えてくださる大勢の方への責任でもあります。

 デフリンピックの知名度を上げるため、聴覚障害で悩んでいる子供のためにも、アスリートとして邁進していきたいと思います。まだまだ未熟な私ですが、みなさまにご指導をいただいて、全力で取り組んで参ります。来年のデフリンピックは、今度こそ表彰台に昇りたいですね」(岡部さん)

 メダルの期待がかかる岡部さんに、世界を代表するアスリートの方や元プロスポーツ選手も、ろう者としてではなく、一人の現役アスリートとして生き方や競技に関するアドバイスを惜しみなくしています。岡部さんも「聴者の方と一緒に競技をしても負けない力をつけたい」と語ります。

 最後に、とても残酷な質問を岡部さんにしてしまいました。「親を恨む?」と、岡部さんは不思議そうに筆者に聞き返しました。

「両親は、いつも私の最大の理解者であり、応援をしてくれました。私のためにできることはすべてやってくれました。どれほどの時間と労力とお金を費やしたのかと思うと、感謝しても足りないぐらいです。暖かな家庭で育ててもらったからだと思いますが、家族に感謝しても恨むということは一切ありません。

 ただ、耳が聞こえたら、どんな人生を歩んでいただろうとは思います。また違った人生だったんだろうなと思うことは何度もありました。でも、自分に言い聞かせていることがあります。誰かを傷つけるようなことをした覚えはありません。恥じる生き方をしたつもりもありません。だから、胸を張って生きていいんだと」(岡部さん)

 生まれたときから音を聞いたことがないろう者は、声を出すこともスムーズにはできない人がたくさんいます。咽頭に病気などがあって声を出せない人、出しづらい人もいます。そんななかで、ろう者であるがゆえ、ときにいじめや偏見を受けて生きてきた岡部さんは、今、世界のアスリートとして、社会人として、ダイバーシティの溢れる社会の実現に向けて、まっすぐに突き進んでいます。

 きっと少し先の未来では、デフリンピックの表彰台が岡部祐介を待ちあぐねていることでしょう。彼を支える大勢の人の笑顔とともに。

(文=鬼塚眞子/一般社団法人日本保険ジャーナリスト協会代表、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表)

●岡部祐介(おかべゆうすけ)さん

1987年(昭和62年)11月25日生まれ、秋田県由利本荘市出身。筑波技術大学産業技術学部を卒業。家族は両親と姉と祖母と猫(茶々丸)。

鬼塚眞子/ジャーナリスト、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表

鬼塚眞子/ジャーナリスト、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表

出版社勤務後、出産を機に専業主婦に。10年間のブランク後、保険会社のカスタマーサービス職員になるも、両足のケガを機に退職。業界紙の記者に転職。その後、保険ジャーナリスト・ファイナンシャルプランナーとして独立。両親の遠距離介護をきっかけに(社)介護相続コンシェルジュを設立。企業の従業員の生活や人生にかかるセミナーや相談業務を担当。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などで活躍
介護相続コンシェルジュ協会HP

Twitter:@kscegao

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