2017年に起きた絆會(当時は任侠山口組)の織田絆誠会長襲撃事件においてボディーガード役を務め、命を落とした組員の5回目の命日をめぐって、ここまでの混乱を招く結果になろうとは、誰が想像できただろう。やはり一度掛け違えたボタンを戻すのは困難だったのか【参考記事「神戸山口組にまたしても亀裂か」】。
9月12日、織田会長襲撃事件で犠牲となった楠本勇浩組員の5回目の命日となるこの日、神戸市内の事件現場には、簡易な献花台が一時的に設置された。それは事前に組員らが集まることを予測していた捜査当局から「簡易なものでなければ、場合によっては検挙の対象する」という旨の勧告が絆會サイドにあったからといわれている。現に警戒にあたっていた捜査員からは、献花台設置後しばらくすると、すぐにそれを撤去するよう促す声が上がっていたといわれている。
ただ、そこまでだったら、二代目宅見組・入江禎組長が神戸山口組を離脱する事態には発展しなかっただろう。問題はその場所に、神戸山口組の2人の最高幹部が訪れたことにあったと囁かれているのだ。
2人の最高幹部は、入江組長の意向に沿って訪れたのではないだろうか。神戸山口組と池田組は親戚関係ともいえる連帯を行った。その池田組は絆會と親睦関係にあるので、入江組長サイドからすれば、これまでの経緯は別として、故人の命日に現場を訪れ、冥福を祈るのは当然だと考えたとしてもおかしくない。
対して、神戸山口組のトップである井上邦雄組長の考えは異なったのかもしれない。
「最高幹部2人は、すぐさま井上組長に呼び出されたという話です。2人は祭壇に手を合わせただけでなく、供花と香典まで持参していたことがわかり、井上組長の怒りに油を注ぐことになってしまったのではないかと業界内で囁かれています」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
井上組長の考えは、神戸山口組は池田組と連帯したとはいえ、絆會とはなんらかの直接的な関係を結んだわけでも、関係を修復させたわけではない。池田組と絆會に深い関係性があろうが、神戸山口組としては、そこは感知しないというものだったのではないだろうか。反対に入江組長は、池田組と親戚関係になるということは、絆會とも親睦を深めていくのは必然のことで、その一環として抗争の犠牲となった故人の冥福を祈るべきとの立場だったのではないだろうか。そうした考えの違いが、入江組長による、神戸山口組離脱につながったのかもしれない。
「さらに、井上組長に呼び出された最高幹部の1人が、井上組長に対して、何らかの異議を唱えたのではないかといわれている。それが事実であるとすれば、神戸山口組からの離脱は、二代目宅見組だけに終わらない可能性があるのではないか」(業界関係者)
ひいては、まかり間違えば、神戸山口組と池田組との関係性さえ、見直されることもあるのではないかというのだ。
六代目山口組から離脱し、結成された神戸山口組。そこからさらに分裂することになった神戸山口組と池田組が、入江組長の奔走で再び友好的な関係を結んだ矢先の出来事。神戸山口組の存続をめぐる駆け引きの先には、またもや不穏な空気が漂っている。
(文=山口組問題特別取材班)