神戸山口組の井上邦雄組長の求心力にかげりが出ていることが取り沙汰された中にあっても、組織を立て直すため奮闘していたのが、俠友会を率いる神戸山口組の若頭・寺岡修会長であった。
それでも、一度求心力が低下した組織の再建は難しく、昨今も離脱者が相次いでおり、神戸山口組が解散する日も近いのではないかと業界内で囁かれてきた。
そんな中でも、調整役として、他団体の首脳陣らと会談を持つなど奔走してきたのが、寺岡会長であったといわれている。そうした組織の中心的立場であったゆえ、寺岡会長の関係先には、昨年暮れから今年前半にかけて、六代目山口組サイドによる度重なる武力行使が起きることになったのだ。
「どれだけ神戸山口組が衰退しても、そのような攻撃を受けても、若頭という立場であることから、寺岡会長は神戸山口組に止まり続けた。その一方で最近は、7年にもわたる分裂問題を幕引きするために、井上組長へ引退を打診することを試みたのではないかといわれることがありました。だが、井上組長は、自身の引退も、神戸山口組の解散もないと断言し、そうした解決案が実現することはなかったと見られています。寺岡会長としては、他組織の首脳陣らが調停に乗り出したこともあり、神戸山口組の代紋を下ろすことで、分裂問題に終止符を打つことができたらと考えていたのではないでしょうか」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
そうした中で、神戸山口組内部では、組長と若頭の間で今後の方針についての相違が次第に大きくなっていったのではないだろうか。
異変が起きたのは、7月に開かれた神戸山口組の定例会だった。それより先に行われていた執行部会には出席していた寺岡若頭が、体調不良を理由に定例会を欠席。以降、7月下旬から連絡が取れなくなっている状態といわれてきたのだ。
そして、8月22日に開催された俠友会の定例会。その席で俠友会が、神戸山口組からの離脱することが宣言されたというのだ。すなわちそれは、組織のナンバー2である若頭の離脱も意味していた。
「本来ならば、すぐさま緊急幹部会が開かれるほどの非常事態だ。そして、すぐに組織の立て直しを図らなければならない。だが、神戸山口組内部では7月下旬から寺岡会長と連絡が取れなくなっていた時点で、そうしたことが起こり得る可能性も考えていたのではないか。組織内は比較的冷静に今回のことを受け入れている向きがある」(業界関係者)
現時点において、俠友会は神戸山口組の離脱したものの、組織の解散や寺岡会長が渡世から引退したという話は聞こえてきていない。つまり同じく、2020年に神戸山口組から離脱し、その後、独立組織として存続している池田組のように“一本”としてやっていく可能性があるのかもしれない。
それにしても、組織結成時から若頭を務めてきた寺岡会長という屋台骨を失った神戸山口組は、さらなる組織力の低下が避けられない中、今後、どのような体制で組織運営を維持していくことになるのだろうか。
この夏でまる7年を迎えた山口組分裂問題。これまで幾度となく囁かれてきたことだが、ついに最終局面を迎え始めているのかもしれない。