六代目山口組の分裂によって、2015年に発足した神戸山口組の存在は、結果として、六代目山口組をより一層、盤石な体制へと導いたといえるかもしれない。そしてそれは、これまでのヤクザ社会のしきたりに背いてまで、神戸山口組を立ち上げるという革新を起こそうとした者たちの判断が、正解ではなかったことを証明するような結果になったともいえる。
事実、六代目体制による悪政、恐怖政治への反発として立ち上がったはずの神戸山口組だったが、発足当初から執行部の求心力は弱く、次々に有力組織が離脱。組織力を衰退させながら今日を迎えている。
「後にも先にも山口組とは、六代目である司組長が率いる六代目山口組しか存在しないということ。それは昔も今も変わらない。他の組織が同じ菱の代紋を使い、山口組を名乗ったとしても、100年以上続く歴史や伝統が変わったり、揺らいだりすることはない。また変わってはならないことを多くの人間が感じていたからこそ、今の結果があるのはないか」(業界関係者)
振り返れば、神戸山口組設立後、わずか1年数カ月後には、神戸山口組から離脱した勢力によって絆會(発足当時は「任俠団体山口組」)が発足したことが衰退の始まりだった。その後、有力組織である池田組や武闘派として名高い組織が次々に神戸山口組を離脱し、ついには中核組織である五代目山健組までもが袂を分かっている。そして、この五代目山健組のケースのように、神戸山口組を離脱した多くの組員たちは、結局、六代目山口組へと復帰を果たしているのだ。これが前出の関係者が言うところの「後にも先にも山口組とは、六代目山口組しか存在しない」という言葉にもつながっているのだろう。
ただし、そうした中、神戸山口組から離脱後、組員を減らしながらも、六代目山口組には帰せず、独立路線を貫いてきた組織が存在する。前述した絆會と池田組だ。両組織は現在も独自の代紋を掲げて、一本独鈷の運営を行っている。
しかし、その両組織の存在が、六代目山口組サイドに認められているかといえば、そうとはいえないだろう。どちらの組織も神戸山口組同様、六代目山口組サイドによる武力行使を受け続け、結果、組織の衰退を余儀なくさせられている。それゆえ、絆會と池田組は親睦を深め続け、組織の存続を図ってきたのだ。
だが、ここに来て突如、六代目山口組サイドから「池田組へは手出しはするな」という通達が出されたのではないかと業界関係者の間で噂になっているのだ。それを受け、池田組がこれまでとは異なる意思表示するのではないかという憶測などが飛び交ったのだ。異なる意思表示とは、具体的には、池田組の池田孝志組長が引退と組の解散を決断するというもの、そして、その意思はすでに六代目山口組サイドに伝わっているのではないかというのだ。
「池田組が解散するとなれば、六代目山口組からしてみたら、もう攻撃などは加えなくてよいということ。それが事実であれば、ひとつのケジメがつけられたということではないか」(捜査関係者)
ただし、対する池田組サイドから先日出された通達は、そうした憶測を否定するものであったという。その内容は、池田組と絆會は友好関係にあり、神戸山口組が存続する以上は、池田組自ら組織の幕引きをすることはないというものと見られている。一方で、六代目山口組サイドの意を汲む形で、池田組への調整役を極秘裏に務めていたのが、独立系有力組織の浪川会だったのではないかという点が業界関係者の中でも注目を集めているようだ。
「こんなご時世です。新たな組織を一本独鈷として誕生させたところで、組織を持続、拡大させるにはさまざまな観点から考えても無理があるのではないでしょうか。ヤクザとは、暴力を伴う力で根付いてきた組織ですから、その力を行使できなければ、あらたに地域に根を張り直し、組織を発展させていくのは難し。そんな中で、六代目サイドと事を構えることなんて、なおさらありえない話。そのことを分かっている他の独立団体が、問題の収束に一役買おうという姿勢を見せてもおかしくない」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
池田組と親睦を深めている絆會は組織体制を変えながらも、長きにわたって表立った行動は起こしていない。神戸山口組においても、六代目山口組サイドによる攻撃を受けながらも、昨今は報復と見られる動きは起こしていない。それは、今年の3月から5月にかけて、立て続けに六代目サイドから攻撃を受けてきた池田組にしても同様だ。
分裂劇から7年のときを経て、独立路線にたどりついたそれらの組織が大きな岐路に立っていることは間違いない。仮にどこかひとつの組織が解散などの決断をするようなことがあれば、他の組織にも大きな影響を及ぼす可能性はあるのではないだろうか。
(文=山口問題特別取材班)