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江川紹子の「事件ウオッチ」第214回

江川紹子が聞いた【野田氏による安倍氏追悼演説】「言葉の力」で「民主主義」の修復を

文=江川紹子/ジャーナリスト
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野田佳彦氏(写真=Katsumi KASAHARA/gettyimages)
7月8日に亡くなった安倍晋三元首相に対する追悼演説を国会にて行った、立憲民主党の野田佳彦元首相。演説では、天皇の生前退位について密かに安倍氏と会談していた――などという秘話も明かされたが、岸田首相はそれをどのように聞いたのか?(写真:Katsumi KASAHARA/gettyimages)

 立憲民主党の野田佳彦・元首相が、凶弾にたおれた安倍晋三・元首相の追悼演説を衆院本会議で行った。国葬の実施が国内の分断を深めたあとだっただけに、さまざまな立場の人を広く包摂しながら、この国の民主主義のありようを考えさせる内容だった野田氏の演説は、幅広い層の人たちの心に響いたのではないだろうか。キーワードは、「言葉の力」と「民主主義」である。

野田氏が追悼演説で強調した「言葉の力」と「民主主義」

 追悼演説なので、当然ながら主役である安倍氏を称え、丁寧な言葉でその死を惜しむことに多くの時間を割いている。宰相という立場の孤独や重圧に長い間耐えたことに対する敬意も十分に示された。

 ただそれは、定番の褒め言葉を重ねた賛美で安倍氏を美化しようとするのではなく、野田氏が自身の目で見た、等身大の安倍氏像を描こうと努めているように感じられた。

 たとえば、安倍氏が一度、1年あまりでの首相退陣を経験し、その挫折のなかから立ち上がって「再チャレンジ」を実践してみせた経緯を振り返って、「政治家としての真骨頂」と称えた。また、バラク・オバマ氏とドナルド・トランプ氏というまったく異なる2人の米大統領と良好な関係を結んだ点について、「あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があった」と評した。こうしたくだりには、安倍氏に近い人たちだけでなく、立場を越えて、多くの人がうなずいたことだろう。

 野田氏にとって安倍氏は、ライバルというより「政敵」だろう。その野田氏が発する「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」という言葉には、万感の思いがこもっていた。

 そのうえで野田氏は、長く権力の座にあった安倍氏は「歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)」と述べた。ここからが、演説の肝の部分である。

 安倍氏が放った「強烈な光」と「その先に伸びた影」の両方に触れて、安倍氏とその政治を今後も「言葉の限りを尽くして問い続けたい。問い続けなければならないのです」と力を込めた。

 そして、たたみかけるように、演説はフィナーレに向かう。

「なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです」

「あなたの無念に思いをいたせばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでもよりよきものへと鍛え続けていくしかないのです」

「真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか」

 この呼びかけは、議場の各党議員たちだけでなく、テレビやネットを通じて映像を見た人々の心にも届いたのではないだろうか。入念に言葉を選び、「民主主義を取り戻す」などといった、対立を招きかねない表現を避けたところにも、野田氏の大局観、そして多くの人が共有しているはずの、民主主義の基本に立ち返ろうという思いを感じた。

論敵による国会での追悼演説に宿る、“民主主義の根幹”

 思い返すと、安倍元首相の政治は、強烈な支持者と強烈なアンチを生み、国民の分断は広がった。自身にとって大切な人に対しては「距離を縮める天性の才」を発揮した安倍氏だが、「敵」と見なした相手には、突き放す言動も多かった。国会で「悪夢のような民主党政権」と繰り返し、選挙の街頭演説では批判の声を挙げる聴衆を指さし、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放った。

「安倍一強」といわれ、圧倒的な権力を官邸に集中させるなか、「お友達人事」や官僚による「忖度」が政治の歪みを生んだ。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」を巡る疑惑について、安倍氏は「丁寧に説明する」としながら、必ずしも解明に協力的ではなく、国会で事実に反する答弁が相次いだ。疑惑はいまだに全貌が解明したとはいいがたい。そして、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と政治との関係でも、安倍氏はいちばんのキーパーソンだ。いずれも民主主義の根幹にかかわる問題をはらんでいる。

 突然の死で、当人の内心にかかわる部分は解明が難しくなったとはいえ、安倍政治の検証は、まさに始まったばかりだ。それは、長期にわたる「安倍一強」で傷ついた日本の民主主義を修復するためにも必要な作業だ。岸田首相は拒んでいるが、旧統一教会と安倍氏の関係については、できるだけの検証を行わなければならない。

 そんなことを改めて考えさせられる演説だったが、それでも安倍氏に関しては批判以外の言葉を受け付けない左派系の人々は、SNSなどで激しく野田氏をなじっている。残念なことだ。故人のよいところを称えるのを許さないのでは、このような追悼演説は、対立政党の者は引き受けられなくなる。

 これまでも、在職中に死亡した多くの政治家が、かつての論敵による故人を偲ぶ演説で送られてきた。特に、首相経験者や政党党首が亡くなった場合は、以下のように、対立する政党の重鎮が、追悼の役割を担うのが慣習になっている。

演説日/故人/演説者
1960年10月18日/浅沼稲次郎(社会党委員長)/池田勇人(内閣総理大臣)
1965年10月11日/池田勇人(元内閣総理大臣)/和田博雄(社会党副委員長)
1980年7月25日/大平正芳(内閣総理大臣)/飛鳥田一雄(社会党委員長)
1988年12月20日/三木武夫(元内閣総理大臣)/土井たか子(社会党委員長)
2000年5月30日/小渕恵三(内閣総理大臣)/村山富市(元内閣総理大臣、社民党)

 議員在職中に病気で亡くなった安倍氏の父、晋太郎・元外相の追悼演説も、当時の社会党委員長、田辺誠氏が行った。

 このように党派を超え、国会として故人を追悼する慣習には、意味があるはずだ。元内閣官房副長官の松井孝治・慶応義塾大教授は、今年8月23日付の毎日新聞のインタビューで次のように語っている。

「激しい論戦をしていても根底には相手への敬意がある。死は究極のノーサイド。死が論敵と自らを分かつときにはその旅立ちにエールを送る、それが議会民主主義の根幹であり、追悼演説はそれを体現した美風であるはずです」

 当初、自民党が画策したように、安倍氏の盟友だった甘利明・衆院議員が行っていれば、それは単なる内輪褒めに過ぎなくなり、危うく追悼演説の本来の趣旨を損なうところだった。甘利氏が、安倍氏を失った安倍派を「誰ひとり、全体を仕切るだけの力もカリスマ性もない」と評したために、同派議員が猛反発して演説自体が先送りとなり、結果的に野田氏の演説につながったのは、幸いだった。

プロセスを軽視する岸田政権…「言葉の力」による民主主義の修復が急がれる

 ところで野田氏は、演説のなかで天皇陛下の生前退位について密かに安倍氏と会談していた秘話を明かし、こう述べている。

〈「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める〉

 野田氏は、安倍氏の「沈着冷静なリアリスト」な一面を評価するエピソードとして、この密談を挙げているのだが、ここには別の意図も込められているように聞こえた。今の岸田現政権に対し、民主政治の進め方はかくあるべき、と説きたかったのではないか。

 吉田茂・元首相の国葬の際、当時の佐藤栄作・首相が園田直・衆院副議長に対し、野党第一党である社会党の説得を依頼。秘密裏の会談が行われ、前例としないことを条件に内諾を得た、という。その手法の是非はともかく、少なくとも当時の政府は、野党の了解を得るために心を砕いた。

 一方、岸田政権は安倍国葬を野党に諮ることなく、一方的に決めた。野田氏も、自身のブログで「党内力学だけで拙速かつ独善的に決定したのは明らか」「政府が恣意的に誰を国葬にするかを決めるべきではありません」と書き、国会の関与なしに決定したプロセスを厳しく批判している。

 岸田首相は、演説のこの部分を、どう聞いたのだろう。

 民主政治は、選挙に勝った多数派が、任期中はやりたいことをやりたいようにやれる政治、ではない。巷では、民主主義とは多数決のように思っている人も少なくないが、そんな単純なものでもない。

 決定に至るには丁寧なプロセスを踏まなければならない。異なる考えの人たちとも議論を重ね、互いに妥協できるところは妥協して、できるだけ合意を形成する努力を惜しんではならない。それゆえに、「政治は妥協の芸術」とも呼ばれる。

 私の師でもあった、政治学者の内田満・早稲田大学名誉教授(故人)は、著書のなかでこう書いている。

〈民主政治の要諦は、「妥協」ということになります。(中略)「妥協」という言葉は、一般にあまりいいイメージで受け取られていないようです。「妥協」というと、すぐに「足して二で割る」式の無原則な決定を思い浮かべてしまうからかもしれません。(中略)ここで望まれるのは(「足して二で割る」式ではなく)なんらかの理念、原則に導かれながら、意見を異にし、利害が衝突する者同士の間での相互の妥協点を模索する作業の上に立つ民主政治です〉

〈要するに、与えられた条件の下で、相互の意見のくい違い、利害の対立の解決のために、忍耐強く話合いを積み重ね、現実と理想の間で最大限理想に近づきうる可能な解決策を探り、妥協点を求めていくのは、まさに芸術家の営みというべきでしょう〉

 安倍氏国葬の実施にあたって、妥協点を見いだすどころか、そのための議論の機会さえ作ろうとしなかった岸田首相は、今回の追悼演説を読み返して、猛省してもらいたい。

 岸田首相のように、プロセスを軽視する政治は、よい結果も生みにくい。実際、国葬は出席辞退が相次ぎ、予想していたより少ない参加者となった。そのうえ、国民の政府に対する信頼は損なわれ、内閣支持率も急落する要因にもなった。

 国葬だけでない。コロナ対策やマイナンバーカードと健康保険証の一体化、そして旧統一教会の宗教法人解散請求を巡っても、現政権のモノゴトの決め方には、「現実と理想」を入念に調整する周到さが感じられず、場当たり感が否めない。今回の大型経済対策では、規模ありきの「政治主導」で進め、国会の事前チェックなく政府が使える「予備費」を4.7兆円も積んだ。憲法は、税金の使い道は国会で決めるとしているが、政府にとって“便利な財布”を膨らませ、自由に使える金を増やすやり方は「財政民主主義」に反するという指摘もある。

 こうした政治が続けば、民主政治は内側から静かに崩れ、この国は下降線をたどる一途になってしまうのではないか。そんな懸念がますます膨らむ昨今である。

 「言葉の力」による民主主義の修復、そして鍛え直しを、急がなければならない。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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