パナソニック、社長自虐発言の真相と“普通の会社”という目標
11月1日付日経新聞より
●衝撃の決算発表で、シャープをしのぐ株価下落
10月31日にパナソニックが発表した4~9月期決算発表は、かつての「世界の松下」の栄光を知る者にとっては衝撃的な内容だった。
最終利益は6851億円の赤字。その通期見通しも500億円の黒字から7650億円の赤字へ一気に8150億円も下方修正し、今期の株式配当を無配とした。7721億円の最終赤字を計上した前期の決算でも10円の配当を出しており、無配転落は戦後の混乱期以来、63年ぶりのことである。
翌11月1日の東京株式市場で、パナソニック株は狼狽売りでストップ安(100円安)になり、414円で引けた。翌週には37年ぶりに400円を割る低迷が続いた。10月31日の終値515円からの下落幅は20%を超え、株価の落ち込みぶりは同じ日に最終赤字を2500億円から4500億円に下方修正したシャープよりもひどかった。
市場の狼狽を誘ったのは数字だけではない。10月31日の記者会見で、津賀一宏社長は「負け組と言わざるを得ない」「パナソニックは普通の会社ではない」と発言し、「社長がそんなことを言っていいのか?」と驚きの声が上がった。中村邦夫現相談役が社長時代に入社式の祝辞で「会社がつぶれる」というセリフを連発し「ショック療法か?」と話題になったことがあるが、津賀社長の発言はそれ以上にショッキングなものだった。
かつて「松下」は新聞の証券欄で、日本石油、トヨタ、三井物産、東京海上などとともに「東証特定銘柄」として別枠扱いになっていた(社名は当時)。つまり、パナソニック(旧・松下電器産業)は戦後日本を代表するエクセレント・カンパニーだった。高度成長時代にはダイエー創業者の中内功氏や主婦連と激突しながらも、白物家電やカラーテレビを「ナショナルの店」の販売網で売りまくって市場を席巻し、後にAVや情報家電にも進出して「松下王国」を築いた。
「経営の神様」と呼ばれた創業者の松下幸之助氏は国税庁の高額所得者番付の第1位に計10回ついているが、私財を投じて東京・浅草寺の雷門を寄進したり、「松下政経塾」を創立して、そこから第1期生の野田佳彦首相をはじめ数多くの政治家が輩出されたことはよく知られている。
そんな栄光の時代に入社したパナソニックの現社長が、自分から進んで「負け組」「普通の会社ではない」と発言するのだから、まさに非常事態だ。社員の中には晴れの入社式で当時の中村社長に言われた「会社がつぶれる」という言葉を、思い起こしている人もいるのではないだろうか。
●“戦犯”扱いされる中村邦夫氏の悪評の数々
だが、会社の内外からパナソニックをこんな状態に陥れた“戦犯”としてしきりに名指しされるのは、その中村邦夫氏なのだ。
入社は1962年。事務系出身で若手の頃に「ダイエー・松下戦争」や主婦連との闘いを目の当たりにしているが、89年以降は米英の子会社社長を歴任した「国際派」である。00年に社長に就任し、06年に大坪文雄氏を社長に指名して会長になった。津賀社長が就任した今年6月には相談役に退き、取締役もやめている。
会長時代は経団連副会長も務め、当時の御手洗冨士夫会長は次期会長の有力候補と考えていたが、本人が固辞したため実現せず、米倉弘昌現会長が就任したという経緯がある。その過程で、旧松下電器のOBが強硬に反対したという話も伝わっている。
今、中村氏について聞こえてくるのは、悪い評判ばかり。