都心一等地の無料ショールームがヤバすぎる!来場者殺到!大日本印刷の“壮大な”狙い
これまで欠けていた「生活者目線」を学ぶ場
「当社は1876年に『秀英舎』という名で創業し来年で140年ですが、その歴史のほとんどを出版印刷や商業印刷などの受注型で過ごしてきました。BtoB(企業対企業)ビジネスで、一般消費者を意識しないでもやってこられたのです」
こう話すのは、同館館長の中島良彦氏だ。かつて同社マーケティング情報開発室長を務め、日本マーケティング協会の活動も長い中島氏は、「当社で最もマーケティングに精通する人材」(同社役員)だという。
もともとDNPは「こんな体裁にしたいが、どうすればよいか」といったお客の要望に対して提案し、その品質が認められて受注を増やしてきた歴史がある。例えば、1956年から「週刊新潮」(新潮社)の印刷を手がけて、その後の出版社系雑誌の発行を支えたり、食品ではキャラメルやインスタントラーメンの個別印刷・包装を開発した。受注産業であり黒子役だったのだ。
だが、常態化した出版不況など外部環境が悪化する中、それまでの「待ちの姿勢」では事業拡大が見込めなくなった。そこで近年、同社が行ったのが「自ら踏み出す」能動的な姿勢だ。経営では、国内外の企業をM&A(合併や買収)するなど、事業の多角化も進める。電子書籍ストアの運営もその一環だ。
前述した総売上高の96%を占める印刷事業も、紙媒体・電子媒体などの情報コミュニケーション部門、パッケージ印刷などの生活・産業部門、ディスプレイ開発などのエレクトロニクス部門の3本柱で展開する。だが、その中身は一般には知られていない。
だからこその「見せる化」なのだろう。ペンギンのキャラクター開発にも携わった中島氏は、こう説明する。
「まずは垣根を低くして、当社を知っていただきたいのです。認知度は高まってきました。5月23日には来館者は700人を超え、体験コーナーでは整理券を発行してお待ちいただく状況でした。SNSの情報で知り、ものづくり工房の体験を希望される方の中には、遠くからキャリーバッグを引いて来られる方もいます」