中途半端になって“帰ってきた”トヨタ「RAV4」…車のモデルチェンジって、いったい何なんだ?
4月10日、トヨタのSUVである新型RAV4が3年ぶりに発売された。
この新型、通算で5代目になるが、2013年に発表された4代目は日本で販売されなかったという経緯がある。4代目が出た後も、2016年まで3代目モデルが継続販売されていたのである。
50代以上の方なら、初代のRAV4をよく覚えているだろう。1994年に発表された初代は、バギーにヒントを得た緩やかな曲面ボディと、素材感を生かしたPPのアンダーボディの採用によって、いい意味でのカジュアルさを獲得。新感覚クロカンとして大ヒット作となった。当初は3ドアのみだったが、あまりのヒットに5ドアが追加されたほどだ。
ところが、2000年に発表された2代目に初代の面影はなかった。海外でも評判だった初代に気をよくしたトヨタは、だったらより市場の大きな北米などに照準を合わせようと、当初から5ドアありきの、居住性に配慮したごくフツーのSUVに舵を切ったのである。
カジュアルなテイストを失い、大型化した2代目は日本市場で埋没し、さらにサイズを拡大した3代目はヴァンガードといった派生車種を生むなど混乱を経て販売終了。ついに4代目は日本に姿すら見せなかったわけだ。
そして、8角形を2つ組み合わせたデザインが自慢という5代目は、大きなサイズに加え実にゴツいスタイルで登場。ツートンカラーなど流行の要素を入れてはいるけれど「やっぱり北米メインだよね」という出で立ちだ。
で、こうした経緯を見ると、クルマの「成長」とは一体何なのだろうと思うんである。いや、なぜならこの手の話は結構あって、同様のSUVではホンダのCR-Vがやはり巨大化して戻って来たばかりだし、かつては国民車的な立ち位置だったシビックもビッグセダンになって復帰。また、初代から快走していたスバルのレガシィは、凡庸な大型化ですっかり影が薄くなった。
一方、サイズは変わらないものの、如何ともしがたい安物感で輝きを失ったマーチや、サニーの後継としてヒットしたものの、いつの間にか消えてしまったティーダ(ラティオ)などは、また違った意味で外国市場を意識して魅力をなくした例だろう。
日本、欧米問わず賞賛されるようなクルマづくり
グローバル企業である自動車メーカーが、海外を意識した商品開発をすることに異議を唱えるのはナンセンスだ。資本提携や巨大グループ化が進む昨今ではなおさらで、文字通り世界市場トータルでの収支を前提とした計画を立てることも当然だろう。
けれども、だ。だから日本市場での魅力が下がっても仕方がないというのは、チョット違うんじゃないか? 考えてみてほしい。先に挙げたようなクルマは、そもそも日本と海外両方で評価されてヒットしたのである。つまり「日本と海外市場は相容れない」という発想は、安易な思い込みなのではないのか?
たとえば、スズキの新型ジムニー(シエラ含む)は日本独自の軽規格を基本としながら、このたび「ワールド・カー・アワード2019」の「ワールドアーバン・カー」を受賞した。また、某雑誌の年間ランキング企画では、初代以来一貫してミニマムなオープンスポーツを継続する現行マツダ・ロードスターを「100年に1台の奇跡」と絶賛している。
このロードスター、初代開発時に北米側からの「もっとグラマラスに」という提案を蹴ったというのは結構有名な話だ。けれども、結果的にその姿勢が今、世界で評価されているのである。
もちろん、そもそも日本市場を相手にしないような商品は別だけど、このRAV4やCR-Vなどのように中途半端な感じで戻って来るのを見ると、日本、欧米問わず賞賛されるようなクルマづくりに取り組むべきだと思える。難しいけれど、その接点を懸命に見つけるべきだと。
モデルチェンジがクルマの「成長」であるなら、メーカーは「親」としてどう育てるべきなのか。どんな「成長」がそのクルマにとって幸せなのか。目先の市場動向にとらわれず、もっと先を見たブレのない開発姿勢を僕は期待したいのである。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)