(「wikipedia」より)
日立製作所からの分離独立を早期に果した日立金属、日立電線、日立化成工業(2013年1月から日立化成)は日立系御三家と呼ばれる。日立グループで独自の地位を築いてきた御三家のうち2社が、なぜ合併に追い込まれたのか。
日立電線は住友電気工業、古河電気工業、フジクラに次いで電線業界で国内4位。NTTや電力会社向けの電線が主力だったが、電力会社の投資抑制で高電圧ケーブルの需要が縮小。加えて、電機業界の不振で半導体向けの配線部品も低迷。12年3月期まで4期連続の最終赤字だ。
日立電線の13年同期の業績は、売上高が前期比16.8%減の3600億円。最終損益は90億円の赤字となる見込み。5期連続の赤字の見通しとなり土俵際に追い込まれた。
一方、救済する側の日立金属は、産業インフラ、自動車、電機向けなどに幅広く製品を展開する特殊鋼メーカー。ネオジム磁石と呼ばれる高性能の磁石で高い収益力を誇る。13年3月期の業績は、中国経済の減速などの影響を受け売上高は前年同期比1.6%減の5480億円と減収になるが、最終損益は同40.9%増の252億円を見込んでいる。
日立金属による日立電線の救済合併に市場はノーを突きつけ、東京株式市場で日立金属の株価が急落した。合併の発表があった翌日の11月14日の株価は年初来最安値の524円となった。年初来最高値の1062円(3月14日)から半減した。
赤字の兄弟会社を抱え込むことになるため「収益の悪化懸念から日立金属株が売られた」(外資系証券会社のアナリスト)
日立製作所の中西社長は、子会社の再編を通じて経営資源を成長分野に集中する戦略を進めている。日立金属の株価の急落は、この構造改革に冷水を浴びせる格好になった。
「部門の壁を破壊する」――。中西社長が全事業組織をインフラ、情報・通信、電力、建設機械、高機能材料の5グループに分類すると宣言したのは今年2月3日。構造改革の総仕上げである。
日立グループの構造改革の歴史は、古川一夫・前々社長時代に始まる。古川社長の時代には独立性が強いグループ各社のトップやOBが合併や子会社化に猛反対し、なかなか着手できなかった。
リーマン・ショック後の09年3月期に7873億円という過去最大の最終赤字に沈んだことが構造改革の扉を開けた。子会社の独立性を重視するそれまでの経営方針を大転換し、グループの再編に踏み出した。
大赤字という厳しい現実を突きつけられ、グループ企業のトップたちは立ち往生。合併反対の声を上げることができなくなった。
古川社長がやれなかった構造改革のチャンスが訪れたのだ。09年に会長兼社長に就任した川村隆会長と、10年4月に構造改革路線を引き継いだ中西社長が歯車を回し始めた。
日立マクセル、日立プラントテクノロジー、日立情報システムズ、日立ソフトウェアエンジニアリング、日立システムエンジニアンドサービスの上場子会社5社をTOB(株式公開買い付け)により10年までに完全子会社化した。