細則主義の下でこのようなことを防ぐためには、さらに細かいルールをつくらざるを得ない。細かくすればするほどルールの網の目は小さくなるかもしれないが、抜け道もどんどんはっきりしてくる。これではイタチごっこだ。合法的な脱法行為を助長すらしかねない。
歴史を振り返ってみても、社会的に大問題となった粉飾事件には、その当時の会計基準では違法とはいい切れないものがいくつもある。米エンロンにおける巨額粉飾事件もそうだ。エンロンが行ったことは当時の米国会計基準では必ずしも違法とはいえない。法改正によってそれを違法としたのはその後のことだ。
原則主義の下で自ら考えろ
細かくいろいろ言われる代わりに、「人の迷惑になること、健康を害することをやってはいけません」とだけ言われたらどうだろうか。網の目が非常にボヤっとしているため、どこが抜け道なのかよくわからない。すべて通り抜けられそうな気もするが、下手なことはすべて網に引っ掛かりそうでもある。いずれにしても、自ら考えなければならない。
そこがミソだ。意味を考えながら行動するところには、不正は起こりにくくなるものだ。それゆえ、コーポレートガバナンス・コードでも原則主義を謳っているのだ。
かつての内部統制のように、「所定のドキュメントを山ほどつくっておけば、それでいいんだろ」という形式主義では不正は防止できない。今求められているのは、マニュアルばかりに頼るのではなく、個々人の常識と判断に基づき、自ら考え行動するガバナンスなのだ。それこそが、ガバナンスの強化というものだ。締め付けを厳しくすることは、必ずしもガバナンスの強化にはつながらない。
レベルの高い高校に限ってこれといった校則もなく、服装も髪型も自由なものだ。先生も口うるさいことは一切言わない。そういう学校ほど不良の生徒は少なく、多くの生徒がのびのびと成果を出しているのである。
(文=金子智朗/公認会計士、ブライトワイズコンサルティング代表)