武蔵小杉の再開発の起点は2007年、現在タワーマンション街のある場所に立地していた工場の移転が契機になった。10年にJR横須賀線の駅が開き、開発が加速。そして現在の姿になった。
これまで東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県や、西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市などを取材してきた。今回の武蔵小杉の状況を見て純粋に疑問に思ったのは、再開発地区全体のタワーマンションが被害にあうのではなく、なぜ一部のマンションのみで被害が発生したのかという点だ。被害のあった2棟と他9棟で、例えば土地の高低が目に見えて違うということはないように思えた。
なぜ被害は11棟中2棟だったのか
日本全国に想定を超える被害をもたらした台風19号だったが、今後もゲリラ豪雨など突発的な災害は起こり得る。今回の被害をタワーマンションは防ぐことができなかったのか。また、台風は武蔵小杉という地域ブランドに対して深刻なダメージを与えたが、今後、影響はないのか。榊マンション市場研究所代表の榊淳司氏は次のように解説する。
「多くの方々が今回の問題に関心を寄せているのは、『もしかしてタワマンは災害に弱いのでは』という懸念があるからです。今回の件では同地区のタワーマンション11棟のうち9棟が無事という点に注目しています。
建築基準法では、1時間50ミリ程度の雨量を排水できる能力をタワーマンションなどに求めています。今回の台風では、高さ1.5メートルまで水の高さがあったことを考えると基準を超える雨量ではあったとは思いますが、そう考えるとなぜ、ほかの9棟が無事だったのかという疑問が残ります。
ここからは推測ですが被害の大きかった2棟では、台風当時、駐車場への雨水の流入阻止が十分にできていなかったのではないかと思います。その結果、地下の電気設備への浸水も許したということです。
地下駐車場の入り口のシャッターを閉め、出入り口に土嚢を積むだけで今回の浸水は防げたはずです。電気設備を水密扉などで完全防水にするのは現実的ではありませんし、高さ1.5メートル程度の水量であれば通常のシャッターで一定時間以内なら防げます。被害のなかった9棟では、シャッターや土嚢などの対策が施されていたのではないかと推測しています。
当時、多摩川周辺には避難勧告などが出ていました。仕事から帰ってくる人もいたでしょう。シャッターを閉めっぱなしにすることはできなかったのかもしれません。また、マンホールが跳ね上がるほどの急激な降水量の増加を考えれば、水嵩が増えるのはあっという間だったとも思われます。気が付いた時には手遅れという可能性もあります。
地下駐車場は電気設備や水道関連設備が集中しているタワーマンションの心臓部に通じる重要な場所です。『警報が出たら駐車場の出入りを一切禁止にしてシャッターを閉じる』というような自治会ルールをつくったり、土嚢を出入口に積んだり、各種対策を練ったほうがいいでしょう。