「人口減少で日本衰退」論のまやかし ではなぜ日本の適正人口を語らないのか?
私が不思議で仕方がないのは、「日本の適正人口は何人」とは誰も言わないことです。本来、「多い」「少ない」という尺度は適正な人口に対して使う言葉であり、もし今が多過ぎるなら減少はとても良い兆候であるはずです。少子高齢化に怯え、日本の未来を否定的に言っている人たちにとっての日本の適正人口は、いったい何人なのでしょうか。
もちろん「適正」の求め方は基準によって違います。たとえば食料安全保障という観点で見るとしましょう。もし今の食料自給率を政府が発表している約40%と信じるとして、これを100%にするという論点で見れば、人口が半分になっても「まだ多い」という計算になります。さらに現状の農家の高齢化を見れば、自給率は今後ますます下がると考えたほうが良いかもしれません。
実は日本の国土面積は、欧州各国と比べても決して小さくありません。ドイツは日本とほぼ同じ面積に8000万人、英国とイタリアは日本よりひとまわり小さい国土に約6000万人、英国とほぼ同じ面積のニュージーランドは450万人の人口です。
これらの国の国土に占める耕作や居住可能な平地や丘陵の割合はとても高いのが特徴で、ドイツ、フランスがそれぞれ約70%、英国に至っては90%近くが居住可能な地域です。一方、日本は国土のおよそ70%は居住にも耕作にも適さない山岳地帯であり、居住が可能なのは国土の約30%です。そのニュージーランドの半分にも満たない平地に、30倍近い1億2700万人がひしめいている国なのです。
ちなみに、日本は衰退すると言ったリー・クアンユー氏の母国シンガポールの人口は、東京23区とほぼ同じ面積の国土に530万人です。人口が少ない国は衰退するというなら、シンガポールの繁栄は説明がつきません。
敗者を出さない仕組み
日本人は基準を決めない定性的で曖昧な表現を好むようです。思うにこれは、狭い土地と貴重な水源を分け合って暮らしてきた農耕民族のDNAの影響で、曖昧にすることで村内の争いを避け、白黒をはっきりさせないことで敗者を出さない仕組みなのかもしれません。
マーケティングをやっていると、我々日本人がいかに定義の曖昧な定性的な言葉の中を泳いでいるか痛感します。でも、人口問題にしても、政治にしても、経済にしても、まずあるべき姿を定量的に定義し、言葉の定義を揃えた上で議論を重ねていかないと、何も前に進まないと私は思っています。
(文=庭山一郎/シンフォニーマーケティング株式会社代表取締役)